ベルルッティの歴史

フランス発のラグジュアリーブランド「ベルルッティ(Berluti)」は、高級レザーを使用した紳士靴やバッグ、財布を展開している、不動の人気を誇るブランドです。



靴が好きな男性なら誰もが一度は憧れを持つベルルッティは、1895年の創業以来、紳士靴界に数々の革命をもたらしてきており、靴を絵画のキャンバスに見立てたような、デザイン性や発色にこだわって作られた他には無い芸術性の高い靴は、あのパブロ・ピカソやアンディ・ウォーホルと言った有名な芸術家も虜にし、顧客リストに名を連ねていたと言われています。



今でこそ一流ブランドとして君臨しているベルルッティですが、創業から現在までの120年の間には、様々な歴史があり、歴史を辿っていくことで今もなお高い人気を誇る理由を垣間見ることができるかもしれません。



そこで今回は、人気ブランド「ベルルッティ」の歴史についてご紹介します。

ベルルッティの歴史 第一章
創業者アレッサンドロ・ベルルッティの誕生



1865年、イタリアのマルケ州にあるセニガッリアで、ベルルッティの創業者であるアレッサンドロ・ベルルッティが誕生しました。



成長すると馬車作りの職人として働くようになり、ここで学んだ木材技術が、後にブランドで木型の制作をする際に役立ったと言われており、また、馬車の座席には革が使われていたことから、レザーの知識も身に着けたとも考えられています。



その後、アレッサンドロ氏は、次第に靴職人に憧れを抱くようになり、靴づくりを本格的に学ぶ為に1887年に故郷であるイタリアを離れ、靴職人が多く活躍していたフランスに移り住むことになります。



職人から靴作りの技術を一から学び、見事、靴職人としてデビューを果たしたアレッサンドロ氏の最初の仕事は、ヨーロッパの各地を回るサーカス団が着用する専用の革靴の制作依頼で、アレッサンドロ氏は衣装やショーの内容にマッチした専用の靴を多く制作しました。



その後はパリに移住し、本格的に靴職人としての活動を開始します。



アレッサンドロ氏の靴づくりにかける情熱や優れた技術力は、パリの上流階級の間でも話題になり、既にこのときから多くの顧客を獲得していたと言われています。

ベルルッティの歴史 第二章
ベルルッティの創業



1895年、紳士靴専門店「メゾン・ベルルッティ」をオープンさせ、ここから「ベルルッティ」のブランドの歴史がスタートします。



職人と客が対話をし、オーダーを受けてから一つひとつ制作を行う”ビスポーク”と呼ばれる販売方法を取り入れ、ベルルッティの紳士靴はフィッティングの良さはもちろんのこと、アレッサンドロ氏のセンスあるデザインも高く評価され、パリに住む紳士から少しずつ支持を得るようになります。



そして、アレッサンドロ氏はこの年、自身の名を冠した「アレッサンドロ」と言う革靴を発表します。



1枚の皮を使用したホールカットで仕上げられ、縫い目が無くシンプルで芸術性の高いデザインが特徴的なアレッサンドロは、革新的なだけでなく機能性も持ち合わせており、現在もブランドのアイコンシューズとして愛されています。



1900年、パリ万国博覧会でベルルッティの靴が出品されたことで知名度が一気に急上昇します。



同時にアレッサンドロ氏の靴職人としての評価も上がり、フランス全土にその名が知られるようになります。



1922年、アレッサンドロ氏は、自身の5番目の子供であるトレロ・ベルルッティに事業を引き継がせ、引退をします。

2代目に就任したトレロ氏は、父のアレッサンド氏の元で長年靴作りや皮革の加工技術を学んでおり、後継者の候補として育成を受けていたと言われています。



父の意志を受け継いだトレロ氏は、これまで同様にエレガンスとモダンを取り入れつつも、さらに当時流行していたアールデコを取り入れ、さらなる独創性に富んだ靴を制作していくことになります。



父親譲りのトレロ氏の技術力と才能はたちまち評判が知れ渡り、次々に顧客を獲得するようになります。

ベルルッティの歴史 第三章
プレタポルテの展開をスタート



1928年、ベルルッティ初となる工房兼ブティックをモンタボー通りに開店します。

このブティックは、後にシャンゼリゼ近くにあるマルブッフ通りに移転をすることになります。



第二次世界大戦の終戦後、トレロ氏に代わってトレロ氏の息子であるタルビーニオ・ベルルッティが3代目として就任します。

14歳から経営について父から学び、さらに同時期から建築の勉強もしていたと言われるタルビーニオ氏は、ブランドの近代化を進めて多くの新しい風をもたらし、中でもベルルッティにとって大きな挑戦でもあったのが、レディースラインとプレタポルテのスタートです。

創業以来、紳士靴を専門に取り組んできたベルルッティは1959年に最初のレディースコレクションを発表し、大きな話題となります。

さらにこれまでビスポークにこだわり続けてきたベルルッティが、高級既製靴であるプレタポルテの展開を新たに開始したことによって若い層を取り込みに成功し、ここから止まらぬ勢いで躍進を続けていきます。

1962年、世界的に有名なポップアートアーティストのアンディ・ウォーホルが、ベルルッティのブティックを初めて訪れ、ローファーを一足オーダーしました。

1年後、アンディ・ウォーホルの為に制作されたローファーが完成します。

ヴェネチアンレザーの奥深い色味に、ロングノーズのエレガントなシルエットが美しいローファーでしたが、片方のアッパーに傷が入ってしまっており、ウォーホル氏にはこの傷はひっかくのが好きな気の強い牛のせいだと説明をしたところ、靴を受け取ったウォーホル氏は、この傷を個性として感じ取り、気に入って愛用をしたと言われています。

特注で作られたこのローファーはその後「アンディ」と言う名で復刻販売されるようになります。

ベルルッティの歴史 第四章
オルガ・ベルルッティによる改革が始動



1968年、タルビーニオ氏の従姉妹にあたるオルガ・ベルルッティが新たにアート・ディレクターとして就任します。



初の女性ディレクターとなったオルガ氏によって、ベルルッティに若々しさ溢れる新たな芸術的感性が吹き込まれ、女性ならではの視点によって生まれた革新的なデザインの靴が多く展開されるようになります。



またこの時期から、ブティックのサロンには、イヴ・サン・ローランやカール・ラガーフェルドと言った今では伝説的な有名デザイナーが多く集うようになり、会話を楽しんでいたと言われています。

1980年代には、現在もベルルッティのアイコンともなっている、「ヴェネチアレザー」と「パティーヌ」を取り入れた靴が展開されるようになります。

ヴェネチアレザーは、レザーメーカーと共同で開発された、鞣し(なめし)製法によって作られたレザーです。



厳選された高級皮革を使用し、しなやかな密着感と伸縮性に優れ、さらに漆器のような微光を放つこだわりの質感は、ベルルッティでしか作り出すことができない唯一無二の素材であり、製造過程は今も明かされておらず、謎に包まれています。

もう一つのパティーヌは、オルガ氏によって確立された染色技法で、染料や溶剤、精油、顔料などを組み合わせ、ブラシやスポンジ、布きれ等のあらゆる道具を使って塗布し、様々な技法を用いることで、多くの色を表現できるようになり、これによって黒や茶色が主流であった紳士靴の常識が覆され、赤や青、緑と言った新たなカラーを取り入れた革靴が登場するようになります。

オルガ氏の有名な名言には「靴を磨きなさい。そして、自分を磨きなさい」と言う言葉があり、オルガ氏は、”マダム・オルガ”として、ブランドに様々に貢献をもたらし、不動の地位を築き上げていきます。

ベルルッティの歴史 第五章
LVMHグループ傘下に



1993年、ベルルッティは、ルイ・ヴィトンなどの多くの有名ラグジュアリーブランドを保有する、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)に買収され、グループ傘下に入ることになります。

さらに、この頃から革に特殊な加工で文字を施す「カリグラフィ」と言う加工技術が登場します。



1999年、東京の青山に日本初の路面店がオープンします。



世界で3つ目の直営店で、日本での旗艦店となる青山のブティックでは、靴以外にもプレタポルテや革製品、アクセサリーなど様々なアイテムを取り扱っており、ビスポークの受注会も行っています。



2005年より、バッグや財布などの靴以外のレザーアイテムの展開をスタートします。



ビジネスマンをターゲットに、ヴェネチアレザーを使用した本格的なレザーアイテムの数々は、靴と一緒に合わせることでより一層、洗練された大人のスタイルが完成します。



2011年、アーティスティック・ディレクターにアレッサンドロ・サルトリが就任し、この年から既製服の展開を開始しました。

ベルルッティの歴史 第六章
スニーカーの展開をスタート



2014年、新たにスニーカーコレクションの展開がスタートします。



“プレイグラウンド”と呼ばれる専用の木型を開発し、フィット感と履き心地の良さを追求したベルルッティのスニーカーは、コットンキャンバス素材以外にもレザーを使用したラグジュアリー感のあるタイプも登場しています。



2015年、創業120周年を記念し、メゾンを代表する靴である「アレッサンドロ」の限定版が発売されます。



左足のみに、ルイ15世の印璽が押された手紙からインスピレーションを受けた”スクリット”が刻印されており、当時の面影を感じることができる特別なシューズとなりました。

2016年、ハイダー・アッカーマン氏がアーティスティック・ディレクターに就任します。



アッカーマン氏によるベルルッティのファーストコレクションでは、レザーだけでなく色々な素材を多用し、上品な雰囲気がありながらも様々な工夫が散りばめられており、多くの期待が寄せられました。

2018年4月、ハイダー・アッカーマン氏が退任し、新たにクリス・ヴァン・アッシュがアーティスティック・ディレクターに就任します。



ベルギー出身のファッションデザイナーであるアッシュ氏は、2007年から「ディオール オム」のデザイナーを11年務めた経歴を持ち、「ベルルッティ」のデザイナーに就任後は、歴代のデザイナーの意志を受け継いだ、芸術性の高い華麗なコレクションを展開しました。

2021年、クリス・ヴァン・アッシュ氏が就任3年目で退任することになります。



後任を指名する予定は現在のところ決まっておらず、今後は独自の方法で新製品や新プロジェクトの発表を行っていくと言われています。

まとめ


今回は、ベルルッティの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?



アレッサンドロから代々継承されてきた伝統や高度な技術は、オルガ氏の功績によってさらなる基盤が築かれたことは言うまでもなく、時代に合わせて改革を行い、常に高品質な製品を提供し続けているベルルッティの唯一無二のこだわりこそが、今も多くの男性に支持を得ている理由なのかもしれませんね。

高級紳士靴で不動の地位を確立したベルルッティは、今後も飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進を続けることでしょう。

brareslab@admin

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