マイケルコースの歴史

アメリカのラグジュアリーファッションブランド「マイケルコース(MICHAEL KORS)」は、ニューヨークを拠点に、都会的でエレガントなアイテムを展開をする女性に人気のブランドで、日本ではバッグや財布などのレザーアイテムを中心に多くの支持を得ています。



有名デザイナーであるマイケル・コース氏の名を冠するブランドとしても知られ、今では世界中の都市に店舗を構え、多くのファンを持つ「マイケルコース」ですが、過去には一度、破産申請を行っていたこともあり、決して順風満帆な道のりではありませんでした。



そんな波乱万丈なマイケルコースの歴史を振り返ってみましょう。



そこで今回は、創業から現在までのマイケルコースの歴史についてご紹介します。

マイケルコースの歴史 第一章
マイケル・コース氏の誕生



1959年8月9日、アメリカのニューヨーク州ロングアイランドで「マイケルコース」の創業者である、マイケル・コース氏が誕生しました。



ユダヤ系で元モデルの母と、スウェーデン系の父の間に生まれたマイケル氏は、カール・アンダーソン・ジュニア三世と言う名で生を受けることになりますが、両親の離婚後、母親がビル・コースと言う男性と再婚をしたことから、マイケル・デビッド・コースと言う名に改名し、苗字だけでなく名前も同時に改名しました。



子供時代はニューヨークのメリックで過ごしたマイケル氏は、元モデルである母親の影響でファッションが身近にあり、マイケル氏もモデルとして度々キャンペーンなどに出演していたと言われています。



そのような環境で育ってきたマイケル氏は、幼少期の頃からファッションに興味を持つようになり、母親の再婚時の結婚式では、当時まだ幼いながらも、母親が着用するウェディングドレスをデザインしていたと言うエピソードがあります。



成長するにつれて本格的にファッションデザイナーを志すようになり、ベルモアにあるジョンFケネディ高校を卒業後、ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)に入学し、ファッションデザインについて基礎から学ぶことになります。



しかし、ゼミで落第したことにより、9ヵ月で大学を中退し、その後はマンハッタンにあるブティック「Lothar’s」で働き始めるようになります。



最初はセールスマンとしてスタートしたものの、やがて昇進してビジュアル・ディスプレイの責任者に任命され、デザイナーとして活動することになります。



ブティックでは、レザーのコレクションアイテムを中心にデザインをしており、次第に新人デザイナーであるマイケル氏の評判がファッション業界に知れ渡るようになり、この後、彼に大きな転機が訪れることになります。

マイケルコースの歴史 第二章
マイケルコースの創業



ニューヨーク5番街にある老舗の高級デパート「バーグドルフ・グッドマン」のエグゼクティブ・ディレクターであるドーン・メローが、マイケル氏の才能に惚れ込み、バーグドルフ・グッドマンからブランドを立ち上げないかと提案されます。



そして1981年、ドーン・メローのサポートによって自らの名を冠した「マイケルコース」を創設します。



メロー氏は、グッチで副社長兼クリエイティブ・ディレクターを務めていたこともあり、有名デザイナーの推薦によって立ち上がったブランドは、デビュー当初から多くの注目を集めるようになります。



バーグドルフ・グッドマンを始め、アメリカで最も老舗のデパートである「ロード・アンド・テイラー」や「ブルーミングデールズ」、「ニーマン・マーカス」、「サックス・フィフス・アベニュー」等の、各百貨店で婦人服のラインを手掛けるようになると、たちまち評判を呼び、1983年には、第1回デュポン・アメリカン・オリジナル・アウォードを受賞します。



1984年には、初のランウェイショーを開催します。



スーパーモデルのイマンが着用したタートルネックと灰色のフランネルは、特に大きな反響を集めることになります。



マイケル氏は、グラマラスとエフォートレス(肩の力を抜いたカジュアルスタイル)を両立させた、”オールアメリカンスポーツウェア”を生み出します。



着用した人に自信をもたらし、尚且つ着心地も優れている実用性が高いスポーツウェアは、世界中で人気を集めるようになります。

マイケルコースの歴史 第三章
破産申請



その後も事業は順調に思えましたが、低価格帯のラインのライセンスを持つ会社が、製品の生産を停止してしまったことによって、一気に経営難に陥り、1993年に破産申請をすることになってしまいます。



一方で、マイケルコース氏は、1995年にオンワード樫山のブランド「ICB」の初代デザイナーとして就任することになります。



世界に向けたグローバルブランドとして、一流デザイナーであるマイケル氏を起用してスタートしたICBは、マイケル氏の在任期間は短かったものの、オンワード樫山の代表的なブランドの1つとして、今も多くの女性から支持を得ています。



またこの年、マイケル氏がELLEの「キャデラック・ファッション優秀賞」を獲得します。



1996年、セカンドラインである「コース(KORS)」をスタートし、ブランドが本格的に再始動します。



LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)のサポートによって再出発を果たし、同年、マイケル氏がファッション誌「ヴォーグ」の「New Establishment(この10年間で最も影響を与えたデザイナーのひとり)」に選ばれます。

マイケルコースの歴史 第四章
セリーヌのクリエイティブ・ディレクターに就任



1997年、マイケル氏がLVMHグループのブランドである「セリーヌ」のクリエイティブ・ディレクターに就任します。



マイケル氏は、自身のブランドも継続しながら務めることになり、大人向けのイメージがあったセリーヌを、都会的でスタイリッシュなブランドに再構築を図り、見事、若い世代からも支持を得るブランドとして生まれ変わらせることに成功します。



1999年、最も活躍したデザイナーを表彰するCFDA(アメリカファッションデザイナー協議会)アワードで、デザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞します。



2001年、アクセサリーラインの展開をスタートします。



ジュエリーや時計など幅広く展開され、若い世代からも人気を獲得します。



2002年、東京・南青山にマイケル・コース南青山店がオープンし、ついに日本での展開がスタートします。



また、この年からメンズラインの展開がスタートします。



クール×スポーティにモダンなアメリカンスタイルを掛け合わせたマイケルコースのメンズラインは、デザインだけでなく機能性も重視し、カジュアルながらもラグジュアリーの本質は忘れず、洗練されたスタイルを提供しています。



メンズラインは高く評価され、その翌年、CFDAのメンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞します。

マイケルコースの歴史 第五章
後継ブランドの誕生



2004年、セカンドライン「コース(KORS)」の後継ブランド「マイケル・マイケル・コース(MICHAEL MICHAEL KORS)」がスタートします。



イブニングウェアや上質なバッグやアクセサリーを中心に展開する、セレブリティ向けのコレクションラインとは対照的に、このラインでは、ラグジュアリーを維持しながらも、トレンド感のあるカラーやプリント、シルエットを取り入れ、様々なシーンに対応したスポーティで都会的な”ジェットセット・ライフスタイル”を展開しています。



そしてこの年、オンワード樫山と「マイケル・マイケル・コース」がライセンス契約を結び、本格的に日本での展開をスタートします。



さらに2004年には、アメリカの時計メーカー「フォッシルグループ」とパートナーシップを結び、ウォッチラインを立ち上げます。



また同年、自身のブランドに集中して取り込む為、マイケル氏はセリーヌのクリエイティブ・ディレクターを退任します。



2006年、この年のアカデミー賞で、ジェニファー・ガーナーがマイケルコースによる特注のドレスを着用し、注目を集めました。



この他にもキャサリン・ゼタ=ジョーンズやミシェル・オバマ、ジェニファー・ロペスと言ったセレブリティ達も、マイケルコースの愛用者として知られています。

マイケルコースの歴史 第六章
国内初の路面店がオープン



2010年、日本初となる路面店が東京・表参道にオープンしました。



セカンドラインである「マイケル・マイケル・コース」のバッグやアクセサリーを中心に展開され、これを皮切りに、全国のデパートに店舗が次々にオープンするようになります。



またこれに伴い同年、マイケル・コース・ジャパンを設立します。



そして、これまでのマイケル氏の功績が認められ、CFDAジェフリービーン生涯功労賞を最年少で受賞します。



2011年、東京・六本木の六本木ヒルズに表参道に続く路面店をオープンしました。(現在は閉店)



国内最大で2フロアからなる店内には、日本初となるコレクションラインと、マイケル・マイケル・コースのアイテム、さらにレディ・トゥ・ウェアが展開されました。



2013年、国連WFPとコラボレーションしたチャリティ・ウォッチが発売されます。



時計の売り上げは、国連WFPの学校の給食プログラムを介し、子ども達に食糧を届けるための資金として活用されました。



またこの年、アメリカの人気ニュース雑誌「タイム」が毎年行っている、世界で最も影響力のある100人を発表する「タイム100」にマイケル氏が選出されました。

マイケルコースの歴史 第七章
ジミーチュウを買収



2015年、東京の銀座に国内最大級となるマイケルコースの旗艦店がオープンしました。



大理石の床を使用し、ラグジュアリー感溢れる店内では、バッグ、財布、ウェア、アクセサリーと言った、展開されているすべてのラインを取り扱っており、フルラインを取り扱う店舗は世界初となります。



一方関西では、兵庫県神戸市に関西エリア初のなる路面店、マイケル・コース神戸店がオープンしました。



1階と2階の2フロアからなる店内には、バッグからシューズまで様々なアイテムが展開されています。



また、階段部には巨大なスクリーンが設置されており、最新のランウェイの映像を見ることができます。



2017年7月、マイケルコースを運営するマイケル・コース・ホールディングス・リミテッドが、イギリスのファッションブランド「ジミーチュウ」を買収することが発表され、買収額は述べ1300億と言われています。

マイケルコースの歴史 第八章
ヴェルサーチを買収



2018年、ジュエリーやウォッチの売り上げが不調により、ファッションジュエリーを廃止し、ファインジュエリー事業に参入することを発表します。



高価格帯のファインジュエリーに完全移行することで、売り上げ回復を狙います。



さらに2018年には、イタリアのファッションブランド「ヴェルサーチ」を買収することが発表されます。



買収額は2352億と言われ、これに伴い社名をマイケル・コース ホールディングスから、カプリ・ホールディングスと言う名に変更することになります。



新たな社名はイタリア随一の高級リゾート地として知られるカプリ島から命名されたと言われカプリと言う名が選ばれた理由には、この島が2億年かけて形成された3つの岩から成っている景勝地が関係しています。



この3つの岩がマイケルコース、ジミーチュウ、そしてヴェルサーチの運営する3つのブランドに当てはまり、伝統や基盤を象徴していることから、カプリと言う名に決定したと言われています。



「コーチ(COACH)」と並び、アメリカを代表するラグジュアリーブランドとして、今も成長を続けるマイケルコースの動向に今後も目が離せません。

まとめ



今回は、マイケルコースの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?



一度は停滞期があったものの、今では次々に有名ブランドを買収し、飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進し続けているマイケルコースは、デザインの良さはもちろんのこと、様々な価格帯のラインがあり、その上、幅広いジャンルのアイテムを展開していることも、日本や世界で受け入れられている理由なのかもしれませんね。



これからも、マイケルコースのさらなる発展に期待していきましょう。

brareslab@admin

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