Christian Louboutin(クリスチャン ルブタン)の歴史

フランスのラグジュアリーブランド「Christian Louboutin(クリスチャン ルブタン)」は、女性用のシューズを中心に、バッグや雑貨を展開しており、創業は1992年と比較的新しいブランドでもありながら、2011年には、世界で最も検索されたシューズブランドに輝くなど注目を集め、今では世界中の女性を魅了しています。



クリスチャン ルブタンでは、パンプスからサンダル、ブーツ、スニーカーまで、ありとあらゆるジャンルのシューズを展開していますが、中でもブランドのアイコンとして最も有名なのが、ハイヒールです。



真っ赤な靴底が印象的なレッドソールのハイヒールは、クリスチャン ルブタンの代名詞でもあり、インパクトのある美しいハイヒールは、有名セレブリティ達がこぞって愛用しているので、見たことがあると言う方も多いかもしれません。



そんなクリスチャン ルブタンは、同名のデザイナーであるクリスチャン・ルブタン氏によって立ち上げられ、とあるきっかけからハイヒールに魅了されて、靴のデザインを始めたと言われています。



ブランドの歴史をひもといていくことで、クリスチャン ルブタンが、なぜ多くの女性を虜にするブランドに飛躍していったのかが分かって来るかもしれません。



そこで今回は、創業から現在までに続く、クリスチャン ルブタンの歴史についてご紹介します。

クリスチャン ルブタンの歴史 第一章
クリスチャン・ルブタンの誕生



1963年1月7日、 フランスのパリで、クリスチャン・ルブタン氏が誕生しました。



家具職人を務めている父親と専業主婦の母親のもとに生まれたルブタン氏は、幼い頃から母親や3人の姉妹の影響によって女性向けのファッションに興味を持っていたと言います。



中でも靴は一際興味津々だったと言われており、このときに培った感性が後のブランドのデザインにも大きく反映されることになります。



一方で、一般的な勉強には興味を持てなかったようで、12歳のときには学校に通うのを辞めてしまいます。



その当時、勉強よりも靴のデッサンを描くことに夢中だったルブタン氏は、その後、家を出てキャバレーの演者をサポートする仕事を始めるようになります。



ナイトクラブに毎日のように入り浸るようになったルブタン氏は、次第にキャバレーに出演しているショーガールのファッションに興味を持つようになり、ショーガールの為の靴をデザインを始めます。



そしてその後、ルブタン氏にとって人生を変える大きな出来事が訪れます。

クリスチャン ルブタンの歴史 第二章
シューズデザイナーを志す



1976年、ルブタン氏はパリを散策していると、当時パリにあった国立アフリカ・オセアニア美術館の前で、ある看板を見つけます。



その看板には、美術館で木製の床を傷つけるようなヒールの高い靴での入場を禁止すると言う注意書きが書かれており、ルブタン氏はその看板に描かれていたハイヒールに魅了され、すぐにこの看板からインスピレーションを受けてデッサンを描きました。



しかし、看板に描かれていたデザインをそっくりそのままデッサンにしてしまい、この件についてルブタン氏は、後のインタビューで「女性に自信を与えたいと言う思いからルールを破った」と話しています。



その後、当時10代後半であったルブタン氏は、世界にも興味があったことから長期の旅に出発し、インドとエジプトでしばらくの間、滞在していました。



旅の途中でも、靴のデッサンを描き続けており、やがて、これまでの作品やアイデアをまとめた、ハイヒールのポートフォリオが完成します。



1981年にパリに帰国後、ポートフォリオを「クリスチャン・ディオール」で靴のデザインを行っていた、自身の名を冠したラグジュアリーシューズブランドで有名な、デザイナーのシャルル・ジョルダン氏に売り込んだ所、ルブタン氏のデザインが認められ、ジョルダン氏のもとで働きながら靴作りについて学んでいくことになります。



さらにその後は、ルブタン氏がかねてから憧れを抱いていたデザイナーのロジェ・ヴィヴィエ氏の弟子になり、経験を積みながらプロのデザイナーとして成長を遂げていきます。

クリスチャン ルブタンの歴史 第三章
クリスチャン ルブタンの創業



やがて、ヴィヴィエ氏のもとから巣立ち、フリーで活動するようになったルブタン氏は、才能が高く評価され、「イヴ・サンローラン」や「シャネル」、「エルメス」と言ったそうそうたるラグジュアリーブランドの婦人靴のデザインを任せられるようになります。



そして1991年、ルブタン氏はついに念願だった自分のブティックを、ルーブル美術館近くのアーケード街に開業し、ここからブランド「クリスチャン ルブタン」の歴史の幕が開きます。



ルブタン氏は、20代後半と言う若さで自身の名を冠したブランドを設立し、店舗を開業したと言う偉業を成し遂げたことになります。



そのこともあり、ブティックの開業時からクリスチャン ルブタンは、多くのセレブリティから注目を集めており、ブランドの一番最初の顧客と言われているのは、モナコの公女であるカロリーヌ妃だったと言われています。



カロリーヌ妃は、クリスチャン ルブタンの靴を大変気に入ったようで、愛用していることがニュースによって伝えられると、世界中にクリスチャン ルブタンの名が一気に知れ渡るようになります。



その後は、世界的に有名なセレブリティにも愛用者が次々と増えていき、歌手のマドンナやフランスの女優カトリーヌ・ドヌーブと言った、有名人もクリスチャン ルブタンの靴をこよなく愛していることで知られています。

クリスチャン ルブタンの歴史 第四章
レッドソールの登場



1993年、この年からクリスチャン ルブタンの代名詞となっているレッドソールが初登場します。



レッドソールが採用された経緯には、アシスタントが赤色のマニキュアを塗っていたのを見たルブタン氏が、ふと思いつき、靴の生産工場で出来上がった靴のソールにマニキュアを塗ってみたことがきっかけで誕生したと言われています。



女性をよりセクシーに、美しく魅せてくれる真っ赤な靴底に、ルブタン氏はすっかり魅了され、それ以降ルブタンのハイヒールには、レッドソールが採用されるようになり、後に米国では、レッドソールのデザインが商標登録されることになります。



1994年には、早くもアメリカに進出を果たし、ニューヨークに路面店をオープンします。



2002年、「イヴ・サンローラン」とコラボレーションしたシューズコレクションを発表します。



2009年、クリスチャン ルブタンの日本法人である「クリスチャン・ルブタン・ジャパン」を設立し、ここから日本での本格的な展開がスタートします。



またこの年、日本でも有名なフランスのパティスリーである「ラデュレ」とコラボレーションした、マカロンボックスが登場しました。

クリスチャン ルブタンの歴史 第五章
日本初の直営店がオープン



2010年2月、東京・銀座の松屋銀座に、日本初の直営店がオープンしました。



オープン時には、松屋銀座の外壁がレッドソールをイメージしたレッドカラーにライトアップされ、話題となります。



また、同年10月には、日本初の路面店が銀座にオープンしました。



さらにこの年には、幼少期のルブタン氏のミューズでもあったバービー人形とのコラボレーションを展開しました。



バービーの50周年を記念して実現したコラボレーションでは、ルブタン氏がスペシャルカスタマイズした限定バービーが発売され、さらにバービー用のスペシャルなシューズがセットになったコレクションも登場しました。



2012年より、男性向けのシューズも本格的に展開するようになり、ニューヨークにメンズ専門店がオープンします。



2013年、東京の青山に国内最大となる旗艦店がオープンします。



店舗の内装は、ニューヨークを拠点に活躍する建築デザイン会社の212boxが手掛け、婦人靴以外にもバッグや革小物、そしてメンズアイテムなど、幅広いアイテムを取り扱っています。



2013年には、パリの老舗ナイトクラブ「クレイジーホース・パリ」で、ルブタン氏が演出を手掛けたショー「FIRE(ファイア)」を映像化した、映画「ファイアbyルブタン」が公開されます。

クリスチャン ルブタンの歴史 第六章
クリスチャン・ルブタン・ボーテがデビュー



2014年、クリスチャン ルブタンのビューティーラインである「クリスチャン・ルブタン・ボーテ」がデビューします。



レッドソールをイメージしたネイルカラーやリップカラー、そして他には無いルブタンらしい個性的なパッケージは、ブランドが持つ魅惑的な世界観を最大限に演出しており、登場以来、シューズに続いて世界中の女性を虜にしています。



さらに同年「ルイ・ヴィトン」とのコラボレーションを果たし、ルイ・ヴィトンのアイコンであるモノグラムを、ルブタン氏が独自に解釈し、デザインした特別なキャリーバッグを生み出しました。



2016年、日本初のクリスチャン ルブタンのメンズオンリーブティックを銀座にオープンします。



同年6月には、クリスチャン・ルブタン・ボーテが日本に初上陸し、阪急うめだと、松屋銀座の化粧品売り場に出店をします。



さらにこの年には、クリスチャン ルブタン初となるフレグランスがデビューします。



「パルファン ビキニケスタラ」、「パルファン トルネードブロンド」、「パルファン トラブルインヘヴン」の3種類が登場し、波のようにうねった芸術性の高いボトルも美しく、香りだけでなく見た目でも楽しむことができます。

まとめ



今回は、クリスチャン ルブタンの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?



ルブタンのハイヒールはルブタン氏は否定しているものの、一部からは「King of painful Shoes(痛みを伴う靴の王様)」と呼ばれているように、普段使いをするには、ヒールが高すぎる為にあまり適してしないですが、だからこそ唯一無二の美しいシルエットのハイヒールは、パーティーやイベントなどの特別なシーンでぴったりとマッチし、女性の足元を誰よりもエレガントに演出してくれます。



今後もルブタンは、世界中の女性の為に、美しく洗練されたシューズを提供していくことでしょう。

brareslab@admin

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