ルイ・ヴィトンの歴史

世界的に有名なラグジュアリーブランドとして知られるフランス発祥のファッションブランド「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」は、バッグや財布など様々なアイテムを展開し、世界中にファンを持っている人気ブランドですが、ブランドが設立されたのは1854年と、ラグジュアリーブランドの中でも老舗ブランドとして知られています。

160年以上の歴史があるルイ・ヴィトンは、ブランド自体は有名ですが、どのような経緯で誕生したブランドなのか知らないと言う方も多いはずです。

「ルイ・ヴィトン」はトランク(スーツケース)職人でもあったルイ・ヴィトン氏が創始され、当初は旅行用鞄を専門に販売をしていましたが、ここから一流トップブランドに昇り詰めるまでには、多くの波乱万丈な歴史がありました。

そこで今回は、ブランドの誕生から現在までの、ルイ・ヴィトンの歴史をご紹介します。

ルイ・ヴィトンの歴史 第一章
ルイ・ヴィトン氏の誕生



ファッションブランド「ルイ・ヴィトン」の創始者であるルイ・ヴィトン氏は、1821年にフランスのジュラ地方アンシェイ村で生まれました。


両親は製材所を経営しており、ルイ氏も少年時代の頃から様々な手伝いをしていたと言われていますが、ルイ氏が10歳のときに母親が亡くなり、その後ルイ氏の父親は再婚をしますが、新たな母となった義母と中々打ち解けられずにいました。

そのようなこともあり、1835年に14歳のルイ氏はパリを目指して家出をしてしまいます。



ですが、真っ先にパリには行かずに、馬屋番をしたり、食堂で働いたりと、旅をしながら様々な仕事をこなし、パリに着いたのは家出をしてから1年以上も経った後でした。 

パリに向かう途中、様々な旅行鞄を持っている人々を見たルイ氏は、その際いくつかのアイデアが浮かんできたと言われています。

ルイ・ヴィトンの歴史 第二章
ブランドを設立



パリに着いたルイ氏は、トランク製造職人兼荷造り職人の見習いとして働き始め、トランク職人としてのキャリアをスタートします。



ルイ氏は着々とキャリアを積んでいき、その腕前が認められると次第にはフランスの皇室からの注文も任せられるようになりました。

1854年にルイ氏は、エミリー・クレマンス・パリオーと言う女性と結婚をします。



そして同年、パリの高級ブティック街であるカプシーヌ通りに世界初の旅行鞄専門店をオープンし、ここから「ルイ・ヴィトン」のブランドの歴史がスタートします。



当時は、蓋が丸くなっているトランクが主流でしたが、馬車から機関車・船での移動が増え始めていたことから、ルイ氏はこれに着目をし、機関車や船に持ち込みやすい”平らなトランク”を考案します。



さらに、当時のトランクはほとんどが革製でしたが、軽量で防水加工を施した「グリ・トリアノン・キャンバス」と言う、グレーのキャンバス地の布地を覆って作られたトランクを開発して販売した所、大きな人気を博し、評判はフランス中に知れ渡るようになります。



また、1857年には、ルイ氏とエミリー氏の間に息子のジョルジュが誕生します。

ルイ・ヴィトンの歴史 第三章
コピー品が出回るほどの人気に



ルイ・ヴィトンのトランクは一躍有名になり、評判が評判を呼び、フランスのみならず海外からも注文が来るようになります。



注文が殺到し、生産が追い付かなくなると、1859年にパリ郊外にあるアニエール=シュル=セーヌに、工房を構えます。



この工房は現在も稼働しており、主に1点もののスペシャルオーダーを匠の技を持つ職人の手によって一つひとつ製作しています。



1867年には、船での旅行が盛んになったことを受けて、旅行用のタンス「ワードローブ・トランク」を開発します。



またこの年には、パリ万国博覧会に出展をし、銅メダルを獲得します。

これによって、世界の貴族の間でも名前が広まり、1869年にはエジプト総督であったイスマーイール・パシャ、1877年にはロシアのニコライ2世(当時はニコライ皇太子)からもトランクの注文を受けていたと言われています。



しかし、この頃からコピー商品が出回るようになったと言われており、対策を打ち、1872年から別の布地を使用するようになります。



この布地は「レイエ・キャンバス」と呼ばれ、赤とベージュのストライプ模様になっていますが、しばらくすると、こちらも同じくコピー商品が出回ってしまいます。



しかし、次から次へと出てくるコピー商品に押されることなく、順調にブランドを拡大していきます。

ルイ・ヴィトンの歴史 第四章
ダミエ・ラインが誕生



1880年には、ルイ氏の息子のジョルジュが、ジョゼフィーヌ・パトレルと言う女性と結婚をします。



そして、入籍当日にルイ氏はジョルジュにアトリエを継承し、ジョルジュは2代目の店主となります。



1883年、ジョルジュ氏に息子ガストンが生まれます。



またこの年、自由民権運動の主導者で知られる、板垣退助がパリの店舗でトランクを購入したと言われており、記録によると、日本人で初めてのルイ・ヴィトン商品の購入者だと言われています。



コピー商品に悩まされながらも、ブランドは急成長を遂げていき、1885年にはついに海外進出を果たし、ロンドンのオックスフォード通りにルイ・ヴィトンストアを開店します。



これまでにもコピー商品を防止する為に様々な手を打ってきたルイ・ヴィトンでしたが、新たな対策として1888年にジョルジュ氏が新ラインを考案します。



それが、現在もルイ・ヴィトンを代表するラインである、「ダミエ・ライン」です。



ダミエラインは、ベージュと茶褐色のチェス盤をモチーフにした模様が特徴的ですが、これは日本の市松模様からインスパイアされており、当時フランスではジャポニスム(日本の文化や美術の趣味)が空前のブームとなっており、考案したジョルジュ氏もジャポニスムの虜だったことが伺えます。



ダミエ・ラインはコピー商品防止の為に、商標登録をしていましたが、にも関わらず、すぐにコピー商品が出回ってしまったと言われています。



そして、ダミエ・ラインを発表した翌年の1889年に開催されたパリ万国博覧会では、見事金賞を受賞する快挙を成し遂げます。



ちなみに、パリのシンボル的な存在であるエッフェル塔は、この年の万国博覧会を記念して建てられました。

ルイ・ヴィトンの歴史 第五章
モノグラム・ラインが誕生



今までは旅行鞄を専門に手掛けていたルイ・ヴィトンでしたが、1892年になるとついにハンドバッグの販売をスタートします。



さらに、ハンドバッグやトランクなどのルイ・ヴィトンの全製品が掲載された初のカタログを出版します。



しかし、この年は創始者であるルイ氏が亡くなり、息子のジョルジュ氏がルイ・ヴィトン社の全権を握ることになりました。



その後ジョルジュは、父が作り上げたルイ・ヴィトンを世界的なブランドにする為に、アメリカのシカゴ万国博覧会を始めとした、世界各国の見本市に出展をして知名度を広げていきます。



徐々に世界的なブランドに押しあがっていくルイ・ヴィトンですが、ジョルジュは、生産効率が重要だと思いつつも、新たなデザインを次々に開発していくことも忘れてはならないと感じていました。

そして1896年に、ルイ・ヴィトン社から新たなラインが発表されます。



それが、今もルイ・ヴィトンのアイコンとして親しまれている「モノグラム・ライン」です。



LVのイニシャルや、花や星などを織り交ぜた模様の”モノグラム・キャンバス”と言うデザインは、ダミエ・ラインと同様にジャポニスムが大きく影響されており、日本の家紋からインスピレーションを受けていると言われています。



モノグラム・ラインは、当時ジャポニスムブームだったこともあり、一躍パリでヒットを飛ばします。



また、当時のモノグラムラインは、職人が模様を一つひとつ手描きで描いていたことから、コピー商品が作りにくく、今まで悩みの種でもあったコピー商品が大幅に減少していきます。

ルイ・ヴィトンの歴史 第六章
タイタニック号での逸話



モノグラム・ラインを発表後、ジョルジュはアメリカに渡り、ニューヨークを皮切りにシカゴやフィラデルフィアと言ったアメリカの各地を回り、積極的に自社の製品をアピールし、同時に販売も行っていたと言われています。

その後も、世界各国の万国博覧会に出展を行い、1901年には「スティーマーバッグ」と呼ばれる、トランクの中に入れられる小ぶりのカバンを発表します。



さらに、工夫を凝らした商品を次々に打ち出していき、中でも海に落ちても沈まないと言うトランクは、1912年の有名なタイタニック号の事故の際に、トランクにつまかって命が助かったと言う人もおり、また、沈没から数十年経過した後に、タイタニック号から引き揚げられたルイ・ヴィトンのトランクの中を確認したところ、中身が一切濡れておらず、そのままの状態だったと言う逸話があります。



悲劇的な事故だったものの、これによってルイ・ヴィトン製品の品質の高さが証明され、さらに評判が世界中に知れ渡ることになります。

ルイ・ヴィトンの歴史 第七章
新作バッグを続々と発表



ルイ・ヴィトン社は、さらなる拡大を続けていき、1914年には、パリのシャンゼリゼ通りに、当時としては世界最大級であったトラベルグッズの専門店をオープンさせます。



1924年には、折りたたみできる旅行用ボストンバッグとして現在も人気の「キーポル」を発表します。



当初のキーポルは無地のキャンバスで、ソフトバッグとして人気を博しました。



1954年にブランドが創業100周年を迎えると、パリ市内のマルソー大通り78番地に新しい店舗をオープンさせます。



そして、1959年には、エジプト綿に塩化ビニルの樹脂加工を施している、現在のトアル地を使用した「モノグラム・キャンバス」を発表し、それ以降、「ソフト・ラゲージ」や、「スピーディ」と言った様々な種類のバッグを展開していきます。

ルイ・ヴィトンの歴史 第八章
日本初上陸を果たす



順調にビジネスを拡大している中、1978年についに日本に初上陸をし、東京と大阪にルイ・ヴィトンストアが開店します。

東京に3店舗、大阪に2店舗の計5店舗が同時期にオープンし、その3年後の1981年には日本初の直営店舗を銀座並木通りにオープンさせます。



1985年、耐久性にも優れ、高級感のある素材で人気の高い「エピ・ライン」を発表します。

そして1987年にルイ・ヴィトン社は、シャンパンメーカーで知られる「モエ・ヘネシー」と合併します。


「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」の傘下ブランドには、ルイ・ヴィトンの他にもフェンディやジバンシー、クリスチャン・ディオール、セリーヌと言った、誰もが知るブランドばかりで、世界最大のファッション企業グループだと言われています。



1998年には、ファッションデザイナーのマーク・ジェイコブス氏がアーティスティック・ディレクターに就任し、就任後、マーク・ジェイコブス氏が初めて手掛けたのが、エナメル加工にモノグラムをエンボスした大胆なデザインの「モノグラム・ヴェルニライン」です。



さらに新たにアパレルや靴の展開をスタートし、これまでの伝統を大切にしつつも、新たな世界観を作り出し、総合的なファッションブランドとして成長を遂げていきます。

ルイ・ヴィトンの歴史 第九章
誰しもが認める一流ラグジュアリーブランドに



21世紀に突入しても快進撃を続けるルイ・ヴィトンは、2001年よりジュエリーや時計の展開を開始します。



そして2003年には日本人デザイナー村上隆氏とコラボレーションをした、カラフルなモノグラムが目を引く「モノグラム・マルチカラー」を発表し、話題となりました。



その後も、「モノグラム・チェリーブラッサム」や、「モノグラム・パンダ」など、村上氏とのコラボレーションラインが続々と展開されていきます。



2006年には、デニム素材を使用した「モノグラム・デニム」発表し、これまでとは一線を画した革新的なラインに多くの反響を呼びました。



2013年、自身のブランドに専念する為、マーク・ジェイコブス氏が辞任し、新たに26歳と言う若さでバレンシアガのクリエイティブディレクターに任された経験を持つ、ニコラ・ジェスキエール氏を迎えることになります。



2021年、ルイ・ヴィトンの創始者ルイ氏は生誕200周年を迎えることになります。



ブランドが設立されてからも160年余りが過ぎ、こうしてラグジュアリーブランドのトップに上り詰めたルイ・ヴィトンは、今も発展し続けています。

まとめ



ルイ・ヴィトンの歴史をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?



今でこそ、幅広いジャンルのアイテムを展開しているイメージがあるルイ・ヴィトンですが、アパレルや小物類を展開し始めたのは、比較的最近のことで意外に感じられた方も多いのではないでしょうか?



また、今も問題となっているコピー商品が創業当初から問題視されていたことにも、驚かれたかもしれません。



マーク・ジェイコブス氏がアーティスティック・ディレクターに就任して以降、今までのイメージを覆す斬新なデザインのラインが次々に登場し、新たな時代に突入して来ているルイ・ヴィトンは、これからも唯一無二のラグジュアリーブランドとして愛され続けることでしょう。

brareslab@admin

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