コーチの歴史



「コーチ(Coach)」は、1941年にアメリカのニューヨークで創業したファッションブランドです。

誰もが一度は目にしたことがあるシグネチャー柄でおなじみのコーチは、価格も比較的手ごろな事から若い世代からも高い支持を得ているブランドとしても知られ、また、ラグジュアリーブランドの中では珍しくアウトレット店を展開しているのも特徴の一つです。

そんなコーチは創業時はレザーを主力製品としており、夫婦によって設立された小さな皮革工房から、アメリカを代表するファッションブランドに飛躍するまでには、様々な歴史がありました。

そこで今回は、創業から現在までのコーチの歴史についてご紹介します。

コーチの歴史 第一章
コーチの創業



1941年、アメリカ・ニューヨークのマンハッタン、ソーホー地区に、マイルス・カーンとリリアン・カーンの夫妻が、「ゲイル・マニュファクチャリング・カンパニー」と言う名の皮革小物工房を創業します。

マンハッタンに多く点在した倉庫街のロフトアパートメントの一室を工房にし、経営者の夫婦と、6人の優れた技術を持った職人によって創立したこの皮革工房こそが、コーチの始まりでもありました。

当初は、メーカーから下請けされた革製品の生産事業を行っており、主に男性向けの財布やベルトと言った革製品を生産していたと言われています。

家族経営の規模の小さな会社であったにも関わらず、質の高いレザーを使用し、熟練した職人の巧みな技術によって作られた一流の革製品は、高く評価されるようになり、独自の製品も展開していくようになります。

1961年、ブランド名を「コーチ」に改称します。

コーチと言う名の由来は、ハンガリーの首都ブダペストにほど近い「Kocs(コチ)」と言う町の名前からきていると言われ、コチの町は世界で初めて4輪馬車を製造したことで有名となり、後にコチと言う名前は馬車の代名詞として親しまれるようになります。

正式にコーチと言う名前を採用した理由は明かされておりませんが、コーチには、実用的な革製品を届けていきたいと言う経営理念があることから、「大事な物を運ぶ」と言う役目がある馬車の代名詞であったコチからヒントを得て決めたのかもしれません。

コーチの歴史 第二章
ボニー・カシン



1961年、コーチのオリジナルレザーである「グラブタンレザー」を発表します。

誕生したきっかけは創業者のカーン氏が訪れた野球観戦で、カーン氏は、野球のグローブで使用しているような、しなやかで柔らかい素材に着目をします。


その後、研究を重ねた末に誕生したこのレザーは、機能性や耐久性に優れており、さらに使い込むほど味が出てくると言う魅力も兼ね備えています。

その翌年には、6人の職人によってひとつひとつ手作業で作られた、シリアル番号入りのグラブタンレザーのハンドバッグを12個限定で販売し、大きな反響を呼ぶことになり、それ以来、コーチを代表するレザーとして親しまれています。

1962年、マイルス・カーン夫妻は、人気デザイナーであるボニー・カシンをブランド初のリードデザイナーとして起用します。

映画「王様と私」で衣装デザインを担当していたボニー氏は、大胆な色彩センスとバランス感覚を持っており、ボニー氏の再構築によって、コーチは当時のニューヨークを見事に反映した、現代的なファッションブランドに生まれ変わります。

これまで主に男性向けの製品を中心に展開していたコーチですが、ボニー氏は女性向けの展開を強く希望し、ここから女性向けのバッグの展開が本格的にスタートします。

最初に発表されたのが、ショッピングバッグからインスピレーションを得て作られた「カシン・キャリー」と呼ばれるバッグです。

女性の為に作られたこのバッグは、丈夫なハンドルや外側についた小銭入れなど、機能性を重視したこれまでにないバッグを生み出し、見事、大ヒットを巻き起こします。

その後、ボニー氏は、アクセサリーやポーチ、香水、サングラスなども次々に手掛け、同時にブランドも発展していくようになります。

コーチの歴史 第三章
ルー・フランクフォート



1960年代後半には、新たなショッピングバッグコレクションを発表し、さらにその後、現在も人気を博している「バケットバッグ」が発売されます。

1970年代に入ると、アメリカではカジュアルファッションがトレンドになり、これに合わせて1973年に登場したのが「ダッフル・サック」と呼ばれるバッグです。

グラブタンレザーを使用していながらも、シーンを選ばずに使えるシンプルなフォルムのバッグは、女性の心を鷲掴みし、一躍ヒットを飛ばします。

また、現在も多くのバッグに使用されている、元々は犬の首輪と引綱を繋ぐ金具の「ドッグリーシュ」や、オープンカーの留め具をイメージした「ターンロック」は、ボニー氏によって取り入れられるようになりました。

1976年、ボニー氏の貢献によって売り上げを大幅にアップさせたコーチは、海外に初進出を果たし、さらにアメリカ全土に出店する計画が始動します。

1979年、コーチはブランドの規模の拡大を図るため、ルー・フランクフォートを新事業開発担当副社長として迎え入れます。

元ニューヨークの市長で凄腕ビジネスマンでもあったフランクフォート氏は、就任直後から様々な販売戦略をスタートし、ブランド改革を行っていきました。

まず最初に販売経路の多角化の一環として始めたのが、カタログの発行です。

次に、直営店を相次いでオープンさせ、ブランドの知名度アップを図りました。

そして、1981年には世界のラグジュアリーブランドのブティックが集まっている、ニューヨークのマディソン・アベニューに直営店がオープンし、有名ラグジュアリーブランドと肩を並べることになります。

また、1980年代には、プレッピースタイルが流行し、「ザ・プレッピー・ハンドブック」と言う雑誌にコーチのバッグが掲載されると、プレッピースタイルを愛する若者の間でもコーチの名が浸透するようになります。

コーチの歴史 第四章
日本初上陸



1985年、創業者であるマイルス・カーン夫妻が引退をします。

さらに、大手アパレルメーカーであるサラ・リー・コーポレーションに吸収合併されることになり、フランクフォート氏がプレジデントに就任します。

皮革工房から始まったコーチは、ここから世界に向けたグローバルファッションブランドとして、さらなる発展を遂げていきます。

1988年、コーチはついに日本に初上陸を果たします。

三越を提携を結び、横浜や日本橋の三越に直営店を出店し、1991年には、コーチ・ジャパンの前身となる企業「ピー・ディー・シー」を設立します。

世界中に店舗を次々にオープンし、コーチは確固たる地位を確立して順調に思えましたが、90年代に入ると停滞期に突入してしまい、売り上げが伸び悩んでしまうようになります。

停滞した原因は、コーチが得意とする格式高いクラシカルなデザインが時代にそぐわなくなり、さらに、女性のスタイルが以前に比べて多様になったことも要因でした。

そこでコーチは、ブランドの巻き返しを図る為に新たなデザイナーを投入することになり、1996年にリード・クラッコフをエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターとして迎え入れます。

ボストン出身のクラッコフ氏は、ラルフ・ローレンやトミー・ヒルフィガーでデザインを行っており、32歳と言う若さながらも、優れた才能を持つデザイナーとして知られてます。

ここからクラッコフ氏によって、ブランドの再構築が大々的に行われるようになり、クラッコフ氏によって、ブランドのコンセプトがシフトチェンジされ、重厚感のある高級路線のイメージから、女性をターゲットにしたライフスタイルブランドへと変貌を遂げました。

コーチの歴史 第五章
ウォッチやシューズの展開をスタート



1998年に発表した「ネオ・コレクション」と言うシリーズでは、軽くて耐久性に優れたナイロン素材を採用し、これまでのコーチとは一線を画すカジュアルなデザインで若い層を取り込むことに成功します。

さらに、1998年には時計部門を設立し、「ウォッチ・コレクション」の展開をスタートします。



スイス製のムーブメントを採用し、ストラップやケースにこだわったコーチらしい洗練されたウォッチが登場しました。

1999年、「シューズ・コレクション」の展開をスタートします。

パンススからブーツ、サンダル、そしてスニーカーまで、幅広く揃っており、コーディネートに合わせた様々なデザインのシューズを展開しています。

2000年、ニューヨーク証券取引所に上場を果たし、トータルファッションブランドとしてさらに飛躍を遂げていきます。

またこの年、コーチの新ラインである「ハンプトンズ・コレクション」が発表されます。

ニューヨークから車で2時間ほどの場所にある高級別荘地のハンプトンズをイメージしたこのコレクションでは、エレガントなバカンススタイルをテーマに、バッグや帽子、ウェアなどトータルコーディネートを楽しめるアイテムが登場しました。

コーチの歴史 第六章
シグネチャー・コレクションを発表



2001年のこの年、コーチは大きな転換期を迎えることになります。

クラッコフ氏は、現在もコーチのアイコンとなっている「シグネチャー・コレクション」を発表し、ファッション業界に大きな衝撃を与えます。

コーチの頭文字である”C”のロゴを取り入れたインパクトのあるモノグラム柄は、発売と共に大ヒットになり、アメリカのみならず日本でも大ブームを巻き起こし、シグネチャーの登場によって国内でコーチの知名度が一気に上昇します。

さらにこの年には、「リストレット」と呼ばれる、新作のクラッチバッグを発表します。

手首にかけて使用したり、ポーチとしても使用できる機能性に優れたリストレットは、価格も手ごろなことから、一躍人気商品になります。

また、2001年8月には米コーチと折半出資によって住友商事と合弁で「コーチ・ジャパン」を設立します。

2002年5月、東京銀座に日本最大となる旗艦店がオープンします。

日本最大となる銀座店では、限定アイテムも数多く登場し、国内初となるアイテムも多く展開されました。

コーチの歴史 第七章
レガシー・コレクションの発表



2005年、ベビーに向けた新ライン「ベビー・コレクション」の展開をスタートします。

ベビー向けアイテムは、旗艦店のみの限定販売となっており、帽子やミトンなどのファッションアイテムから、パステルカラーの毛布や写真立てと言った雑貨アイテムなどが展開されました。

2006年、「レガシー・コレクション」を発表します。

創業65周年を記念したこのコレクションでは、コーチが現代的なブランドへ変貌を遂げた1960年代を彷彿とさせる、色鮮やかで洗練されたアイテムが登場しました。

2009年、「ボニー・コレクション」を発表します。

コーチの伝説的なデザイナーであるボニー・カシンからインスパイアされたアイテムが数多く登場しました。

2010年5月、メンズ専門のブティックがニューヨークにオープンし、同年の7月には東京の丸の内店がメンズ旗艦店としてリニューアルします。

コーチの歴史 第八章
スチュアート・ヴィヴァース



就任以来、様々な貢献もたらし、コーチを世界的ブランドに成長させたリード・クラッコフ氏が2013年に退任し、後任としてスチュアート・ヴィヴァースがエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターに就任します。

ルイ・ヴィトン、ジバンシィ、ボッテガ・ヴェネタで経験を積んだ後、ロエベやマルベリーでエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターとして活躍した実績を持つヴィヴァース氏によって、これまでにコーチが培ってきた伝統を継承しながらも、よりファッション性の高いブランドへと進化させます。

2017年、社名をコーチから「タペストリー(Tapestry)」に変更することを発表します。

ブランド名はこれまで同様に「コーチ」として展開され、「タペストリー」の傘下ブランドには、「ケイト・スペード」や「スチュアート・ワイツマン」と言ったラグジュアリーブランドが連ねています。

同年、CFDAファッションアワードのアクセサリー・デザイナー・オブ・ザ・イヤーをヴィヴァース氏が受賞します。

2020年、新コレクション「コーチ オリジナルズ」を発表します。



これまでに登場したコーチのアーカイブから着想を得て誕生し、”リメイド”されたこだわりのバッグが登場しました。

まとめ



今回は、コーチの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?



コーチのコンセプトとして、手が届く贅沢品”アクセシブル・ラグジュアリー”を掲げており、由緒や格式がありながらも、若い方でも気軽にショップに立ち寄って購入することができる身近な存在でもあることが、ブランドの強みでもあるのかもしれませんね。

ライフスタイル・アクセサリー・ブランドとして不動の地位を獲得したコーチは、今後も魅力的なアイテムを私たちに提供してくれることでしょう。

brareslab@admin

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