ティファニーの歴史



アメリカを代表するラグジュアリーブランド「ティファニー(Tiffany&Co)」は、ジュエリーをメインに様々なアイテムを取り扱い、若者から大人の世代まで幅広い層に人気があり、中でもティファニーの婚約指輪や結婚指輪は、世界中の花嫁の憧れの指輪として今も昔も高い支持を得ています。



ティファニーは、カルティエ、ヴァンクリーフ&アーペル、ブルガリ、ハリー・ウィンストンと並ぶ、世界を代表する5大ジュエラーブランドの1つであり、その上創業180年を誇る世界屈指の老舗ブランドでもありますが、創業当初は文房具を中心に扱う店だったと言うことは、あまり世間に知られておらず、世界的なブランドに羽ばたいていくまでの道のりには知られざる多くの歴史がありました。



そこで今回は、創業から現在までのティファニーの歴史についてご紹介します。

ティファニーの歴史 第一章
ティファニーの創業



1837年9月18日、チャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングによって、ティファニーの元となる会社「ティファニー・アンド・ヤング」が設立され、アメリカ・ニューヨークのブロードウェイ259番地にティファニーの1号店となる店舗がオープンします。

開業時は文房具や装飾品などを中心に展開されており、当時のニューヨークでは珍しく商品の値引き交渉には一切応じない徹底ぶりを見せ、革新的な販売方法として話題を集めることになります。

そして、オープンから6年後の1843年からは、ヨーロッパから輸入したゴールドジュエリーを販売するようになります。

1845年には、現在も親しまれている「ブルーブック」が初めて発行されます。



カタログには、世界のラグジュアリーアイテムが掲載されており、米国初のメールオーダーカタログだったと言われています。



1848年、フランスの二月革命の勃発に伴い、貴族から沢山の宝石を買い付けることに成功します。



アメリカでは当時物珍しかったダイヤモンドなどの貴重な宝石を次々に販売し、宝石事業で大成功を収めることになります。



創業者であるティファニー氏は「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれるようになり、ここからティファニーはアメリカ屈指の宝石商として君臨し、現在に続く地位が確立されます。

1850年、海外進出を果たし、ジュエリー文化が盛んなフランスのパリに出店をします。

ティファニーの歴史 第二章
ティファニーブルー



1851年、ニューヨークの銀細工師であるジョン・C・ムーアの事業を買収し、 銀製品の製造を開始します。



アメリカの企業としては初となるスターリングシルバー基準が適用されました。



1853年、ティファニー氏が、共同経営者から経営権を買い取り、社名が現在の「Tiffany&Co」に改称されます。



またこの年、本店をブロードウェイ550番地に移転をし、店舗の入口には2.7メートルのアトラス・クロックが設置されました。



現在もこの時計は、ニューヨーク市最古の公共時計として多くの人々に親しまれています。



ブランドのイメージカラーとして愛されている”ティファニーブルー”は、この頃から登場し、様々なパッケージに使われるようになります。



ちなみにティファニーブルーは、幸せを運んでくる鳥として知られる、コマドリの卵の色をモチーフにしています。



1867年、パリ万国博覧会に出展を果たし、銀器部門で銅メダルを獲得します。

1871年、銀器「オーデュボン」を発表します。

1873年、ティファニーの水差しがマサチューセッツ州ボストン市のボストン美術館に所蔵されます。

ヨーロッパやアジアの美術品の所蔵が多い中で、アメリカ製の銀製品が所蔵されるのは初のことでもありました。

ティファニーの歴史 第三章
ティファニー・セッティッング



1877年、南アフリカで発見された287.42カラットのファンシーイエローダイヤモンドをティファニーが購入し、Dr.ジョージ・フレデリック・クンツによってカットされたダイヤモンドは伝説の石として一躍有名となり、「ティファニーダイヤモンド」と命名されるようになります。



このダイヤモンドは五番街の本店に現在も展示されており、毎日多くの客を魅了しています。



1879年、ジョン・ローリングがデザインディレクターに就任します。



ローリング氏によってアレンジされたローマ数字を使用したシグネチャーラインは、不動の人気を獲得します。



1885年、アメリカ合衆国の新しい国章のデザインを依頼されます。



このデザインはアメリカの1ドル札に描かれおり、現在も引き続き使用されています。



1886年、ブリリアントカットのダイヤモンドを6本の立て爪で支えている「ティファニー・セッティッング」を発表します。



ダイヤモンドがリングの上に浮かび上がっているように見える神秘的なエンゲージメントリングは、ティファニーのアイコンとして130年以上経過した現在も多くの人々に愛されています。

ティファニーの歴史 第四章
本店を移転



1902年、チャールズ・ルイス・ティファニー氏が引退をし、息子のルイス・コンフォート・ティファニーが後を引き継ぐことになります。



ルイス氏はブランド初のデザインディレクターを任せられ、アートジェエリー部門を新たに設立します。



しかしこの年、創業者のチャールズ・ルイス・ティファニー氏が90歳でこの世を去ることになります。



1939年、ニューヨーク世界博覧会に出展をし、その際に展示されたアクアマリンのネックレスは、当時話題となり、訪れた何百万人もの人々を魅了しました。

1940年、高級ショッピング街として世界的に有名な、ニューヨーク5番街57丁目に本店を移転します。

1955年、ディスプレイ・デザイナーであるジーン・ムーアが入社し、本店のショーウィンドウのデザインを手掛けるようになります。

冒険心に溢れ、ウィットに富んだムーア氏のウィンドウデザインは、定期的に有名アーティストとのコラボレーションも行い、39年間で述べ5000以上のウィンドウデザインを担当しました。

1956年、フランス出身の伝説的なジュエリーデザイナーとして知られるジャン・シュランバージェがデザイナーに就任します。

シュランバージェ氏は、海洋生物や植物をモチーフにした遊び心のあるデザインを多く生み出し、多くの女性を虜にします。

ティファニーの歴史 第五章
ティファニーで朝食を



1961年、オードリー・ヘプバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」が公開されます。



オードリー・ヘプバーンが五番街本店のティファニーのショーウィンドウの前で朝食を取る印象的なシーンは大きな反響を呼び、世界的にティファニーの名が浸透していくことになります。



1968年、タンザニアの麓で発見された宝石「タンザナイト」発表します。



タンザナイトとは”タンザニアの石”と言う意味で、見る角度によって色味が変わる幻想的な石は、アメリカで高い人気を誇るようになります。



1972年、日本初となるティファニーのブティックが日本橋三越にオープンしました。



当初は三越が出資していたこともあり、日本橋店を皮切りに、その後は全国の三越に続々と店舗がオープンしていきます。



1974年、イタリア出身のデザイナー、エルサ・ペレッティがデザイナーに就任します。



ペレッティ氏によるジュエリーは、女性らしい滑らかな線を用いたモダンなデザインを多く取り入れているのが特徴で、ハートや涙、そして自然の物をモチーフにしたジュエリーが多く展開されるようになります。



1978年、NBAチャンピオンシップのトロフィーの依頼を受け、高さ61cmのトロフィーを作成します。



ティファニーの職人により手掛けられたカスタムデザインのトロフィーは、現在も様々な競技大会で贈られています。

ティファニーの歴史 第六章
パロマ・ピカソ コレクションを発表



1980年、20世紀最大の芸術家として知られるパブロ・ピカソの娘であるパロマ・ピカソによるジュエリーコレクションが発表されます。

ニューヨークの建築物に描かれているストリートアートからインスピレーションを得てデザインされたスタイリッシュなコレクションは、今もティファニーの人気シリーズの1つとして親しまれています。

1987年、ティファニーはこの年、ニューヨーク証券取引所に上場を果たします。



さらに、創業150周年を記念して、ティファニー初となる香水「オードゥ パルファム」が登場します。



フレグランスには、150周年にちなみ、150種類の香料が使用されていると言われています。



1999年、新作ダイヤモンドリング「Lucida」を発表します。



2001年、パントンの「パントン・マッチング・システム(色見本帳)」にティファニーブルーが「PANTONE 1837 Tiffany Blue」と言う名称で商標登録されます。



この色はティファニーだけが使用することができ、一般向けの色見本帳では1837番は欠番となっています。



2005年 現代建築の巨匠であるフランク・ゲーリーと新パートナーシップを締結し、2006年に「フランク・ゲーリーコレクション」を発表します。



建築物を思わせるような洗練されたデザインが特徴的な、ゲーリー氏のコレクションは、ティファニーに新たな風を吹き込みました。

ティファニーの歴史 第七章
ティファニーTを発表



2007年、スイスの時計メーカー「スウォッチ・グループ」と提携することが発表されます。



共同で時計の開発が行われるようになり、より機能性やデザイン性に優れた時計が多く登場するようになります。



2012年、創業175周年を記念して、新たな素材である「ルベドメタル」を発表します。



金、銀、銅の合金であるルベドメタルは、ローズのような繊細な輝きを放ちます。



2014年 新時代のアイコンとなる「ティファニーTコレクション」を発表します。



Tiffanyのイニシャルである”T”をモチーフにしたこのシリーズは、ティファニーのテーマである幸福、愛、強さ、そしてクリエイティビティを表現しています。



2017年、新フレグランス「ティファニー オードパルファム」を発売します。



15年ぶりに満を持して発表したフレグランスは、ブランド創業時から縁の深い花”アイリス”メインに、女性らしい洗練されたフローラルムスクの香りを楽しむことができます。

また同年、新シリーズの「ティファニー ハードウェアコレクション」を発表します。



都会的なニューヨークのムードとエネルギーに満ちたストリートからインスピレーション得て誕生したこのシリーズは、これまでのティファニーとは一味違うエッジの効いたデザインで、新たな層の獲得に成功します。



さらに2017年には、ニューヨーク五番街の本店にティファニー初のダイニングスペースである「ブルーボックスカフェ」がオープンしました。



映画「ティファニーで朝食を」の影響によって生まれたこのカフェでは、実際に朝食を楽しむことも可能です。

ティファニーの歴史 第八章
LVMHグループ傘下に



2019年からは、新たなサービスとしてダイヤモンドを購入した際にダイヤモンドの原産地情報が提供されるようになり、これによってダイヤモンド鑑定書にも記載されるようになります。



2020年、 新たなジュエリーラインである「ティファニーTワン」を発表します。



「ティファニーT」を再構築させたTワンは、ダイヤモンドがセッティングされた華やかなタイプも登場し、身に着けた人に強さや勇気と言った前向きな姿勢をもたらしてくれます。



さらに同年、多くのラグジュアリーブランドを抱える「LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)」によって買収されることが明らかとなり、その買収額はLVMH史上最高額となる162億ドルと言われています。



2021年1月、買収が完了し、ティファニーは正式にLVMHグループの一員となります。



世界最大のラグジュアリー大手グループの傘下に入ったことで新たな時代に突入し、今後ティファニーがどのように発展していくのか、高い注目が集まります。

まとめ



今回は、ティファニーの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

革新的なジュエリーデザインを打ち出してきただけでなく、アメリカの宝石産業にも数々の貢献をもたらしてきたティファニーは、これからも憧れのジュエリーブランドとして多くの人々を魅了していくことでしょう。

brareslab@admin

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