グッチの歴史

イタリアを代表するラグジュアリーブランドである「グッ(Gucci)」は、バッグからジュエリー、アパレルまで幅広いアイテムを展開し、世界中のセレブにも人気が高いブランドですが、そんなグッチは創業は1921年と100年前に遡り、ブランドの創設期から現在に至るまで、数多くの歴史がありました。

ブランドの歴史を紐どいていくことで、グッチが今も多くのセレブに愛されている理由が納得できるかもしれません。

そこで今回は、知られざるグッチの歴史についてご紹介しましう。

グッチの歴史 第一章
グッチオ・グッチ氏の誕生



グッチの創業者であるグッチオ・グッチ氏は、1881年3月26日にイタリアのフィレンツェで生まれました。

グッチオは、「ガブリエロ」と言う名の、麦わら帽子の製造を行う零細帽子製造会社を経営する一族の息子として誕生しましたが、次第に会社の経営が悪化してしまい、グッチオ氏が17歳のときに会社が倒産してしまうことになります。

当時17歳のグッチオ氏は路頭に迷う中で、一旗揚げる為に自宅を飛び出してイギリスのロンドンに渡ることを決意します。

ロンドンに向かう途中では蒸気船の機関助手として働き、1898年にロンドンに到着したグッチオ氏は、ロンドンの名門ホテルであ「サボイ・ホテル」で働くことになりました。

当初はホテルの従業員の中でも最下級で低賃金であった皿洗いからスタートしたグッチオ氏でしたが、努力が認められウェイターに出世することになります

ロンドン屈指の最高級ホテルだったことあり、ウェイターとして働いていたグッチオ氏は、度々、英国の王侯貴族と接する機会があり、王侯貴族の振る舞いを近くから見ている内に、「原価などは全くもって意味がなく、商品の値段を高くするほど、その分価値も上がる」と言う考えを持つようになり、このときに培った経験が、後のグッチのブランドのビジネスに活かされるようになります。

グッチの歴史 第二章
グッチの創業



1901年、サボイ・ホテルで3年もの間、多くのことを学んだグッチオ氏は、故郷であるフィレンツェに帰郷します。

帰郷後は、地元の商店で働きながら生計を立てていましたが、第一次世界大戦が始まると共に徴兵されることになります。

そして、世界大戦が終戦し、1919年にグッチオ氏は故郷であるフィレンツェに帰還し、その後、高級皮革製品を取り扱う「フランツィ」と言う店で皮革について学び、技術を習得していきます。

1921年、グッチオ氏はこれまでに学んだ経験を活かし、皮革製品を扱う会社を立ち上げ、翌年の1922年にはフィレンツェのパリオネ通りに小さなアトリエをオープンしました。

ここから、「グッチ」のブランドの歴史の幕が開きます。

グッチオ氏がこれまでに培ってきた経験を活かして製作された旅行バッグや馬具と言ったレザーを使用した上質なアイテムは、どれも上品で洗練されており、尚且つ使い勝手も良いことから瞬く間に評判を呼び、わずか2年後には2店舗目をオープンさせる快挙を成し遂げます。

1923年には、店名を「GUCCI」に掲げ、グッチと言う名がイタリア中にどんどん浸透していくようになります。

また、この時期からグッチの定番であるグッチオ・グッチのイニシャルである”GG”のモノグラムを使用したアイテムが登場したとされています。

イニシャルは品質保証を表しており、当時、イニシャルをアイテムに刻印すると言うことは画期的なことで、グッチが世界で初めてイニシャルを刻印したアイテムを販売したとも言われています。

さらに、当時のイタリアの貴族は日常的に乗馬を嗜んでいたことから、グッチでは貴族に向けて、乗馬をイメージした手袋やベルト、トランクと言ったアイテムを次々に制作するようになり、そこでグッチオ氏は新たなアイコンである”ホースビット”と言うモチーフを生み出します。

ホースビットとは、馬具の「くつわ」を金具でイメージしており、優雅で気品のあるグッチらしいモチーフは、今もグッチのアイコンとして親しまれています。

グッチの歴史 第三章
バンブーバッグが誕生



順調に事業を拡大し続けていたグッチでしたが、第二次世界大戦の始まりと共に戦時統制が強化されると、牛革は軍の靴に優先して使われるようになり、素材が十分に調達できず、レザーを使用したアイテムの製作が困難に陥ります。

皮革製品をメインに扱うグッチにとっては苦しい状況に見舞われることになりますが、そこでグッチオ氏は苦肉の策として、レザー以外の素材を使って製作を継続することを決意します。

まず最初に使用した代替素材が「キャンバス地」です。

これまで高級革製品を謳っていたグッチにとっては、キャンバス地を使用するのは挑戦的でしたが、キャンバス地でコーティングを施したアイテムは配色にこだわって製作され、見た目は決して安っぽくは無く、これまでのグッチで展開されてきたバッグと同様に洗練されたデザインを維持しており、結果的に注目を集め、大ヒットを果たします。

さらに1947年には、レザーに代わって新たな素材として採用したのが、現在もグッチの定番ラインとして愛されている「バンブー(竹)」です。

バッグのハンドル(持ち手)にバンブーを使うことで、牛革の使用を減らすことができると言うメリットがあり、その上、バンブーハンドルとレザーの組み合わせは、当時斬新でもあったことから、こちらも発売直後から絶大な人気を誇っていたようです。

また、当時使用していた竹は日本から輸入しており、竹自体が当時イタリアでは珍しい素材だったことも、バンブーバッグが流行した要因だと言われています。

グッチの歴史 第四章
セレブのご用達ブランドに躍進



第二次世界大戦によって一時は倒産を余儀なくされましたが、そんな中でもグッチオ氏は次々に様々なアイデアを打ち出し、徐々に業績を持ち直していきます。

終戦後はロンドンやパリなど、ヨーロッパの国々に続々と店舗をオープンさせ、事業の拡大を続けていきました。

ちなみに、グッチのアイテムには、ウェビングと言う3本のストライプラインが施されていることが多いですが、このウェビングはこの時期に初めて登場し、以来、グッチのトレードマークとして愛されるようになります。

世界的なブランドに駆け上がっていくにつれて、世界各国のセレブリティにも評判が知れ渡るようになり、オードリー・ヘプバーンを始め、エリザベス・テイラー、ピーター・セラーズ、サミュエル・ベケットと言った著名人もグッチを愛用するようになります。

その中でもジョン・F・ケネディ元大統領夫人であるジャクリーン・ケネディ​・オナシスは大のグッチファンでも知られ、特「G1244」と言う名称のレザーバッグを愛用している姿を何度もパパラッチに撮影されており、次第にグッチはこのバッグのことを彼女の愛称にちなみ”ジャッキー”と呼ぶようになり、後に正式に名称を変更することになります。

さらに、グッチオ氏の五男であるルドルフォは当時映画関係の職についていましたが、これがきっかけとなり、ハリウッド映画で次々とグッチの製品が使用されるようになりました。

この頃から世界のセレブに品質の高さが認められ、女性が憧れるブランドとして定着するようになり、イタリアを代表するラグジュアリーブランドとして台頭していくことになります。

グッチの歴史 第五章
日本に初上陸を果たす



1953年、創業者であるグッチオ・グッチ氏が72歳で生涯に幕を閉じます。

その後は、グッチオ氏の三男であるアルドを中心とした息子たちによって会社は引き継がれ、父の意志を引き継ぎ、事業のさらなる発展を目指し、一丸となって取り組んで行くことになります。



アルド氏は海外展開に熱心に取り組んでおり、アメリカ・ニューヨークにショップをオープンした際には、ニューヨーカーの間で大きな話題を集めたと言います。



また、アルド氏は新商品の開発にも積極的で、今も多くの男性を魅了しているビットモカシンや、今ではグッチを代表する部門の1つでもある、フレグランス部門もアルド氏によって立ち上げられ、アルド氏は歴代の経営者の中でも最もグッチを発展させた貢献者としても知られています。



そして1964年、ついにグッチは日本に初上陸を果たし、銀座のみゆき通りにグッチの1号店がオープンします。



また、同時期にはアパレル展開が本格的にスタートし、GGロゴをあしらったシャツやコートなどが登場し、話題を集めました。



1966年には、女優からモナコ王妃となったグレース・ケリーがミラノにある店舗を訪れ、バンブーバッグを購入した際に、責任者が他に欲しいものは無いか尋ねたところ、グレースはスカーフが欲しいことを伝えました。



それを受け、グレースの為にグッチはオリジナルのフラワープリントを施したスカーフを制作して寄贈すると、グレースは大変気に入り、何度も愛用していたと言われています。

このスカーフは「フローラ」と言う名称で、後にグッチを代表するプリントになり、スカーフだけでなく、様々なアイテムにも取り入れられるようになります。

グッチの歴史 第六章
再び脚光を浴びる



創業者のグッチオ・グッチ氏が亡くなった後は、親族の間で度々継承争いが起こっていましたが、1980年代に突入すると本格的に血族間闘争が引き起こり、スキャンダルが勃発したことによってグッチのブランドイメージが低下し、経営危機に陥ってしまいます。



そこで、グッチオ氏の五男であるルドルフォの息子であるマウリッツィオが率先をしてグッチの再構築に向けて動き出します。



1989年には、ニューヨーク5番街にある高級デパート「バークドルフグッドマン」の女性社長であった、ドーン・メローを社長兼クリエイティブディレクターとして招き入れます。



さらに1990年には、ファッションデザイナーであるトム・フォードがレディースウェアのデザイナーとして就任し、1994年にはトム氏がグッチのクリエイティブデザイナーに昇進します。



ドーン・メローとトム・フォードは、これまでのグッチの伝統を取り入れつつ現代的な要素を加えた、これまでに無い新たなグッチを開拓し、続々と新製品を生み出していきました。



この二人によって長らく続いた低迷期を脱出し、グッチは再び脚光を浴びることになり、世界的なラグジュアリーブランドとして返り咲くことになります。

グッチの歴史 第七章
ブランドイメージを一新



2010年には、グッチ初となるチルドレンズコレクションが誕生し、ベビーとジュニアに向けた、ウェアやネクタイ、ベルトと言ったアイテムの展開がスタートします。

他にも定番であるホースビットモカシンや、フローラをモチーフにしたシューズなど、親と子でおそろいで楽しめるアイテムも登場しました。



2015年には、 イタリアの鬼才ファッションデザイナーとして知られるアレッサンドロ・ミケーレが、クリエイティブディレクターに任命されます。



アレッサンドロ氏は、グッチのグランドイメージを再構築し、動物や植物を描いたデザインや、日本風のイラストを用いたジャポニズムデザインなど、今までのグッチのイメージを覆すようなコンテンポラリーやサブカルチャー的な要素を加えた製品を新たに展開していきます。



ラグジュアリーとストリートを融合させた新生グッチは、特にアメリカで大きな反響を呼び、セレブだけでなく10代や20代の若者にもグッチブームが訪れます。



それによってグッチの売上高は、前年に比べ50%もアップし、アレッサンドロ氏はグッチをさらに魅力的なブランドに導き、新たな層の獲得に見事成功しました。



まとめ



今回は、グッチの歴史をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

創業から今日までに様々な紆余曲折がありながらも危機を乗り越え、誰もが憧れる不動のブランドに上り詰めたグッチは、これからも多くの人を魅了するブランドとして駆け抜けていくことでしょう。

brareslab@admin

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