ロエベの歴史

スペイン発のラグジュアリーブランド「ロエベ(Loewe)」は、スペイン王室御用達としても知られている、ラムスキン(羊革)を使用したレザーのバッグで有名なスペインを代表する老舗ブランドです。



今でこそロエベは、世界的に有名なブランドに成長を遂げましたが、一時期は世界のラグジュアリーブランドの商品を輸入販売をしていた、所謂セレクトショップのような役目を果たしていた時代もあり、世界にその名が知られるようになったのは創業からしばらく経過した後でした。

創業から現在までの170年の間に起きた、数々のロエベの軌跡を振り返ってみましょう。

そこで今回は、知ればもっと好きになれるロエベの歴史についてご紹介します。

ロエベの歴史 第一章
ロエベの創業



ロエベの全ての歴史は、1846年、19世紀のマドリードから始まります。

1846年にスペインの首都であるマドリード市内のロボ通り(現エチェガライ通り)に、複数のスペイン人の皮革職人が集まり、皮革製品工房を立ち上げることになります。

工房ではバッグや財布、葉巻入れ、コインケースなどの様々なレザーアイテムを扱っており、熟練した職人による高い技術力と、優れた品質を持った製品の数々は、すぐに高い評価を得ることになります。

そして工房を開いてから26年経った1872年、ドイツのある職人が評判を聞きつけて工房の見学にやって来ました。

その人物とは、ドイツ出身の皮革職人であるエンリケ・ロエベ・ロスバーグ氏で、エンリケ氏は、工房を訪れた際に職人の巧みな技術やシルクのような高品質の革素材、そして素晴らしい品質の高さなど、あらゆるものに強く感銘を受け、パートナーとして一緒に働きたいと申し出ます。

そして、エンリケ氏は自身の名前を冠したハウスを立ち上げることになり、工房でスペインの職人と共に働くようになります。

「ロエベ」の創業は1846年となっているものの、ロエベのブランドが本始動したのはエンリケ氏が加わった1872年からとなり、ここからブランド「ロエベ」の華々しい歴史がスタートすることなります。

ロエベの歴史 第二章
E.ロエベ・ブティックの開店



エンリケ氏が工房に加わると、これまで制作していたレザーアイテムに加えて、長椅子などの家具も制作するようになります。

その後エンリケ氏は、ムンタニョラ家の子女と婚姻を結ぶことになり、多額の資金援助を受けることになると、徐々に工房の規模を拡大していきます。

次第に、マドリードに住む貴族達に工房が知れ渡るようになると、順調に顧客を獲得していくことになります。

1892年、当時マドリード市内でも、とりわけ流行の発信地であったプリンシペ通りに、「E.ロエベ・ブティック」と言う名の、店舗併設型の工房を開店します。

この頃は、販売されていた全ての製品に「Leather Goods Factory」と言うエンブレムが刻まれており、ブティックの開店を機に婦人向けのハンドバッグの販売も始まりました。

またブティックでは、店内に商品を陳列して販売を行っておりましたが、この方法は当時のスペインではまだ非常に珍しかったことから、マドリード市民にも注目されるようになり、意外なきっかけで知名度が上昇することになります。

ロエベの歴史 第三章
ショーウィンドウが話題に



1905年、当時の顧客であったスペインの有名セレブリティとして知られるコンキスタ公爵夫人が、スペイン王室にロエベを紹介したところ、高品質な製品の数々をお気に召し、当時の国王であったアルフォンソ13世によって、ロエベが王室御用達の称号を授かると言う名誉を得ます。

王室から正式に認められたことによって、ロエベはさらなる飛躍を遂げていくことになります。

1910年には、バルセロナに新たな店舗を設けることになり、2号店の開店を皮切りに、スペインの主要都市に次々に新店舗をオープンします。

1939年、マドリードのビジネスの中心地であるグラン・ビア8番地に、新たなブティックを開店します。

この店舗は、建築家のフランシスコ・フェレ・プロトロメがデザインを手掛けており、フランシスコ氏が特にこだわったと言われているのが、半円形のショーウィンドウです。

ショーウィンドウは当時のスペインではまだ珍しく、そんな中で高級感のある洗練されたショーウィンドウを設置することで、ラグジュアリーブランドとしての威厳を示したのかもしれません。

ロエベのショーウィンドウは、マドリードの名物となり、1945年以降はデザイナー兼アート・ディレクターであるホセ・ペレス・デ・ロサス氏がショーウィンドウの設計に携わるようになります。

ショーウィンドウでは、ロエベの世界観を表現した豪華でエレガントな舞台を演出し、道行く多くの人々を魅了しました。

ロエベの歴史 第四章
グレース・ケリーが顧客に



事業規模の拡大に向けて、ロエベでは自社の製品だけでなく、海外のラグジュアリーブランドの販売権を次々に獲得し、様々なブランドの輸入販売を行うようになります。

販売権を獲得したブランドには、クリスチャン・ディオール、クロエ、ロジェ・ヴィヴィエなどがあり、ロエベと肩を並べる高級ブランドのアイテムを自社ブランドのアイテムを共に販売をし、セレクトショップの先駆けとして、話題を集めました。

1949年、注文が大幅に増加し、生産が追い付かなくなったことから、新たな主要工場を建設します。それに伴い、新たに靴やトラベル用品、インテリア小物なども展開するようになり、商品ラインナップの幅を拡大していきます。

1950年代以降は、世界各国のセレブリティが評判を聞きつけて押し寄せるようになり、その中には、数多くのラグジュアリーブランドを愛用していたことで知られる、モナコ王妃のグレース・ケリーも顧客の一人として、グラン・ビア店のゲストブックに名が記載されていたと言います。

1959年、マドリード市内のセラーノ通りに新たなブティックをオープンさせます。

このブティックは、床面積900m2と言う広さを持ち、セラーノ通り店のデザイナーには、スペインで最も有名な建築家であるハビエル・カルバハルが手掛けています。

この店舗の内装と外装のコンセプトには、”スカンジナビアスタイル”と言う北欧系の様式を取り入れ、時代の最先端をいく前衛的なブランドとして高い評価を得ることになります。

ロエベの歴史 第五章
日本での販売がスタート



1963年には、初の海外店舗としてロンドンに直営ブティックがオープンします。

念願の海外進出を果たしたロエベは、飛ぶ鳥を落とす勢いで事業のさらなる拡大を図っていきます。

王室や有名なセレブリティが愛用したことで、ヨーロッパだけでなく世界的にロエベの名が知られるようになってくると、1964年には、ついに日本でもロエベの輸入販売がスタートすることになります。

ロエベの製品を日本で最初に輸入販売したのは、銀座の並木通りに店舗を構えていた「サンモトヤマ」と言う海外ブランドのセレクトショップで、サンモトヤマは他にもグッチやエルメス、サルヴァトーレ・フェラガモと言った有名ラグジュアリーブランドを日本で最初に紹介したと言われています。

1965年には、既製服であるプレタポルテの展開をスタートします。



プレタポルテ部門は、4代目のオーナーであったエンリケ・ロエベ・リンチが立ち上げ、デザイナーには、カール・ラガーフェルドやジョルジオ・アルマーニ、ラウラ・ビアジョッティと言った、才能溢れる面々を迎え入れ、当初は婦人用のみを展開していました。

ロエベの歴史 第六章
アナグラムを発表



ロエベを象徴するアイコンとして有名な「アナグラム」は、1970年に発表され、登場以来、多くのアイテムに取り入れられてきました。

アナグラムをデザインしたのは、ヴィンセント・ヴェラと言うスペインの画家で、筆記体のLOEWEの4つのLを組み合わせており、最高級レザーを使用した証として刻印されています。

1975年、新作バッグの「アマソナ」を発表します。

ロエベのアイコンバッグとして知られるアマソナは、スクエア型のフォルムが特徴的なバッグですが、発売当時は現在とフォルムが少し異なり、小ぶりで丸みのあるフォルムとなっていました。

1978年、ロエベ初となる香水「ロエベ プール・オム」が発売されました。

クラシカルなフゼア調の香りに、レザーの香りをアクセントにした洗練さと上質な雰囲気を盛り込んだ、ロエベのフレグランスは、現在もロエベを代表するアイテムとして愛されています。

1985年、ロエベはルイ・ヴィトン社と販売契約を締結し、提携することになります。

1989年には、フランスに初進出し、パリ市内シャンゼリゼ大通りのほど近くにある高級ブランドストリート、アヴェニュー・モンテーニュにブティックをオープンします。

ロエベの歴史 第七章
LVMHグループの傘下に



1996年、販売権を獲得していたルイ・ヴィトンのグループであるLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)に買収され、ロエベはLVMHグループの傘下に入ることになります。

1998年、LVMHの傘下入りしたことで豊富な資金を得たロエベは、不調だったプレタポルテ部門を肩入れする為に、アメリカ出身のデザイナーであるナルシソ・ロドリゲス氏を招き入れます。

2002年からは、新たにホセ・エンリケ ・オナ・セルファがデザイナーに就任します。

新鋭デザイナーを次々に投入していくことで、プレタポルテ部門の売り上げが回復し、見事に復活を遂げることになります。

2007年、スチュアート・ヴィヴァース氏がクリエイティブ・ディレクターに就任します。

スチュアート氏は、過去にルイ・ヴィトンやジバンシィ、マルベリーで活躍した実績があり、ブランドのさらなる飛躍を目指します。

ロエベの歴史 第八章
若手クリエイティブデイレクターの就任



2013年 ジョナサン・アンダーソン氏が、新たにロエベのクリエイティブ・ディレクターに就任します。

北アイルランド出身のジョナサン氏は、俳優からデザイナーに転身をした経歴を持ち、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業後に弱冠24歳で自身のブランド立ち上げており、伝統とモダンを掛け合わせた独特なスタイルで注目されている若きデザイナーです。

そんなジョナサン氏が就任後に初めて制作したバッグが「パズル」です。

パズルは折り紙から着想を得ており、芸術性の高いデザインで、一躍大人気となりました。

2015年、ギフトコレクション「アニマルシリーズ」が展開されます。

このシリーズは、ロエベの職人が余っていたレザーを使用してクマの形をしたコインケースを制作したと言う逸話から生まれ、動物をモチーフにしたユニークで個性的なアイテムが展開されました。

2018年、新作バッグ「ゲート」を発表します。

ロエベらしいモダンなファルムに、結ばれたベルトをフロントに大胆に配置した、ファッション性の高い斬新なバッグは、機能性にも優れており、ロエベの新たなアイコンバッグが誕生しました。

まとめ



今回は、ロエベの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

170年続く伝統を大事に守りつつも、新鋭デザイナーによって革新的なアイテムを次々に発表していくロエベは、これまでに何度も再構築を図り、今も進化し続けているからこそ、現在もスペインを代表するラグジュアリーブランドとして君臨できているのかもしれません。

これまで以上に魅力的になったロエベに、今後も目が離せませんね。

brareslab@admin

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメントする