ジバンシィの歴史

「ジバンシィ (GIVENCHY)」 は、1952年に創業したフランスのラグジュアリーブランドで、ルイ・ヴィトンなどの多くのブランドを傘下に持つLVMHグループに所属しています。


最近ではコスメや香水が人気となっているジバンシィですが、他のラグジュアリーブランドと同様に最初はオートクチュールからスタートしており、中でもオードリー・ヘプバーンとは関係がとても深く、映画「ティファニーで朝食を」でオードリーが着用した有名な黒のジバンシィのドレスは、20世紀の映画史の中で最もアイコニックなドレスとして知られています。

女性のみならず男性にも高い人気を誇るジバンシィですが、これほどまでに沢山の人々を魅了しているのは、「モードの神童」と称された創業者のユベール・ド・ジバンシィ氏から現在までに続く格式や受け継がれる伝統も理由の1つとして挙げられ、歴史を知ることで、ブランドが今も第一線で駆け抜けている理由が分かるかもしれません。

そこで今回は、創業者ユベール・ド・ジバンシィ氏の誕生から現在までの、ジバンシィの歴史についてご紹介します。

ジバンシィの歴史 第一章
創業者ユベール・ド・ジバンシィ氏の誕生



1927年2月20日に、フランスのボーヴェでユベール・ド・ジバンシィ氏が誕生します。


ジバンシィ家は、イタリアにルーツを持つプロテスタントのフランス貴族で、裕福な家庭で生まれたジバンシィ氏は、幼い頃から家族や親戚の影響で芸術に触れる機会を多く与えられ、中でもファッションに高い関心を持ち、8歳の頃には母親が読んでいたファッション雑誌を参考にして、人形の洋服を制作していたと言います。

1937年、10歳になったジバンシィ氏は、この年にフランス・パリで開催された万国博覧会を訪れ、そこで展示されていたシャネルやランバンと言ったラグジュアリーブランドの衣装を見て感銘を受けます。

これがきっかけでジバンシィ氏は、ファッションデザイナーを志すようになります。

17歳になると、パリの美術学校「エコール・デ・ボザー」でデザインを学び、さらに、当時フランスで人気のファッションデザイナーであったジャック・ファット氏のメゾンで、デザイナーの見習いとして働き始めます。

その後は、ロベール・ピゲ、リュシアン・ルロンの元でデザイナーとして働き、さらには、イタリア人のデザイナー、エルザ・スキャパレリの元で4年間デザイナーを務めることになります。

また、この時期には、当時は無名だったクリスチャン・ディオールを一緒に仕事をしていたと言われており、プロのデザイナーとして多くの経験を積んでいくことになります。

ジバンシィの歴史 第二章
ジバンシィの創業



1952年、ついにジバンシィ氏は、独立をして自分の会社を持つことになり、1952年2月2日に、パリ市内のアルフレッド・ド・ヴィニー通り8番地に自身の名前を冠したメゾンをオープンします。


このときは、弱冠24歳であったジバンシィ氏でしたが、オープンと同時に上流階級の間で話題となり、噂を聞きつけた多くのメディアも注目するようになります。

初のコレクションではモダンなデザインの「セパレート」や、アシスタントとして働きながら、モデル活動も行う女性の名前から命名された「ベッティーナ」と言うコットン素材のブラウスなど、デザインやシルエットにこだわった様々なファッションを当時のパリのトップモデルが美しく身に纏い、多くの観客を魅了して大成功を収めます。

その後も革新的なスタイルを次々に発表する度に、業界から高く評価され、次第にジバンシィ氏は「モードの神童」と呼ばれるようになり、セレブリティや貴族などが次々に顧客になっていきます。

ジバンシィの歴史 第三章
オードリー・ヘプバーンとの出会い



1953年にジバンシィ氏は、女優のオードリー・ヘプバーンに呼ばれて、映画で着用する衣装の製作を依頼されることになります。


ここから、オードリーとの深い親交がスタートし、ジバンシィ氏は「麗しのサブリナ」を皮切りに、「おしゃれ泥棒」、「昼下がりの情事」と言った、オードリーの出演映画の衣装を7作連続で手掛けるようになります。

1954年、既製服であるプレタポルテラインの「GIVENCHY UNIVERSITY」の展開をスタートしました。

高級既製服と言う新たな分野を生み出し、オートクチュールを買うことができない若い世代を中心に人気を博します。

1955年、”自由”をテーマにした新スタイルを取り入れた「シュミーズ・ドレス」を発表します。

ゆったりとしたウエストで体型に左右されることなく着ることができる斬新なスタイルは、同時期に流行していた、ウエストのくびれがはっきりと出るシルエットが特徴的なディオールのニュールックとは真逆であったことから、ファッション業界にも衝撃を与え、コルセットでの締め付けが無い婦人服の登場によって、多くの女性からも支持を集めました。

1957年、香水部門である「パルファム・ジバンシィ」を設立します。

そして翌年の1958年に「ランテルディ(L’INTERDIT)」と「ル・ド(LE DE)」の2種類のフレグランスを発表しました。

フレグランスの広告にはオードリー・ヘプバーンが友情出演し「ランテルディ」は、オードリーに捧げたフレグランスとして世界的に有名となります。

ちなみに、ランテルディは”禁止”と言う意味があり、香水の香りを気に入ったオードリーが、「私以外は使ってはダメ」と発言をしたことから付けられたと言う逸話があります。

ジバンシィの歴史 第四章
「ティファニーで朝食を」のドレスが話題に



1961年、オードリー・ヘプバーン主演映画「ティファニーで朝食を」にジバンシィが衣装を提供し、その中で、映画の冒頭シーンでオードリーが着用した黒のジバンシィのドレスは、大きな反響を呼びぶことになります。


イタリア製のサテンを使い、ぴったりとしたラインにスリットが入ったロング丈のスカートが印象的なドレスは、”ヘプバーンスタイル”として世界的に有名となり、史上最も有名なリトル・ブラック・ドレスとして今も根強い人気があります。

1968年、パリ・ヴィクトルユーゴ―通り66番地に、「ジバンシィ・ヌーベル・ブティック」がオープンします。

プレタポルテを専門的に扱う店舗で、一時は生産が追い付かないほどの大ヒットを飛ばすことになります。

翌年の1969年には、メンズのプレタポルテ「ジバンシィ ジェントルマン(GIVENCHY GENTLEMAN)」をスタートします。

1970年、ジバンシィ氏は、ブランドの新たなロゴ「4G」を発表します。

4つの「G」を組み合わせている印象深いロゴは、現在もブランドのアイコンとして親しまれており、様々なアイテムに使用されています。

さらに同年、3つ目のフレグランスである「ジバンシィ・トロワ」が発売されます。

トロワとは3番目と言う意味合いを持ち、一度廃盤となりますが、2007年に再発売されることになります。

1975年、メンズ用のフレグランス「ジバンシィ ジェントルマン」が発売されます。

究極のエレガンスを表現し、紳士に相応しい香りに誘うメンズ用の香水は、現在も多くの男性に愛用されています。

ジバンシィの歴史 第五章
ジバンシィ氏の引退



1978年、オートクチュール組合によるデ・ドール賞を受賞します。

さらに1983年には、ジバンシィ氏がフランス最高の勲章であるレジオンドヌールを受章します。

1988年、ファッション部門が「モエヘネシー・ルイヴィトングループ(LVMH)」に買収され、グループの傘下に入ることになります。

ちなみに香水部門は、1981年にフランスのシャンパンブランドであるヴーヴ・クリコに買収されていましたが、現在は香水部門もLVMHが所有しています。

1990年、パリ市内にメンズライン「ジバンシィ ジェントルマン」の専門店がオープンします。

そして1995年、ユベール・ド・ジバンシィ氏がこの年のオートクチュールコレクションをもって引退することが発表されます。

43年の間、ファッション史に残る数多くの名作を生み出し、巨大なモード帝国を築き上げたジバンシィ氏の時代は、ここで幕を閉じますが、その後、ジバンシィ氏の後継者として跡を引き継ぐことになったのが、ジョン・ガリアーノ氏です。

自身の名を冠したブランドも持っているイギリス人のデザイナーであるガリアーノ氏は、ジバンシィ氏から指名されて主任デザイナーに就任しますが、2回目のコレクションを発表した直後にガリアーノ氏はディオールに移籍をすることになり、突如退任していまいます。

ジバンシィの歴史 第六章
マックイーン氏の就任



1996年、ガリアーノ氏に代わり、アレキサンダー・マックイーン氏が新たにデザイナーに就任します。

マックイーン氏は、これまでに承継されてきたジバンシィのカラーをあまり使用せずに、自分流のスタイルを強く打ち出したことによって一部の業界からは批判があったものの、結果的に低迷していて売り上げは増加し、ジバンシィを見事に復活させました。

1999年、メンズラインの「ジバンシィ ジェントルマン」を「ジバンシィ」に改称し、レディースラインと統一されることになりました。

2001年、5年間デザイナーを務めたマックイーン氏が退任し、後任にはジュリアン・マクドナルド氏が就任します。

マクドナルド氏は就任後、最初のコレクションではジバンシィ氏とオードリー・ヘプバーンをイメージしたショーを披露し、話題となります。

2003年、メンズラインの初代主任デザイナーとして、オズワルド・ボーテング氏が就任します。

しかし、マックイーン氏が退任して以降、再びブランドは低迷期に突入してしまい、マクドナルド氏もボーテング氏も短期間で退任してしまうことになります。

ジバンシィの歴史 第七章
初の女性デザイナー



2005年、マクドナルド氏が退任し、後任にはリカルド・ティッシ氏がレディースライン、オートクチュール、アクセサリーのクリエイティブ・ディレクターに就任します。

ティッシ氏は、ジバンシィのコンセプトである「エレガント」をふんだんに押し出したコレクションを展開し、業界からも高く評価され、ティッシ氏によってかつての栄光を取り戻すようになります。

ティッシ氏の手掛ける新生ジバンシィは、多くのセレブリティを虜にし、授賞式などのイベントでは、多くの著名人がジバンシィの衣装を身に纏うようになります。

さらに、2008年にはマドンナの世界ツアーに衣装を提供し、オートクチュールによる華やかな衣装が多く登場しました。

2014年、東京・表参道に日本初となる路面店がオープンしました。

アートギャラリーのような店内では、ウェアからバッグ、シューズまで様々なアイテムを買うことができます。



2017年、10年間デザイナーを務めたティッシ氏に代わってクレア・ワイト・ケラー氏が後任に抜擢されます。



ケラー氏は、ジバンシィ初の女性クリエイティブデザイナーとして大きな話題となり、コレクションでは、イギリス出身のケラー氏ならではの英国を意識した様々なスタイルを提案したり、さらに、ジバンシィ氏の頃のデザインを多く取り入れてブランドを原点回帰させたことで高く評価されます。



2018年5月、ケラー氏がヘンリー王子とメーガン妃の結婚式でのウェディングドレスを手掛けることになります。



シンプルなデザインのドレスに花の刺繍が施された華やかなベールを組み合わせた、エレガントなウェディングドレスは、世界中の女性を魅了しました。



2020年、女性初デザイナーとして3年間ブランドをけん引きしてきたケラー氏が退任し、後任には、マシュー・ウィリアムズ氏が就任することが発表されます。



ウィリアムズ氏のファーストコレクションでは、南京錠をキーアイテムに、ユベール・ド・ジバンシィ時代を彷彿させるスタイルが数多く登場しました。

まとめ



今回は、ジバンシィの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?



プライベートでもジバンシィを身にまとっていたオードリー・ヘプバーンは、ユベール・ド・ジバンシィ氏のことを「魅力を引き出す天才」と褒め称えており、デザイナーとして優秀なだけでなく、その人をより輝かせ、美しく着飾らせるオートクチュールを制作する能力も誰よりも秀でていたからこそ、彼に熱い信頼を寄せていたのかもしれませんね。

ジバンシィ氏が築き上げてきた伝統はデザイナーが変わった今も健在であり、現デザイナーのマシュー・ウィリアムズ氏が手掛ける新生ジバンシィの展開に今後も目が離せません。

brareslab@admin

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