セリーヌの歴史
世界中の女性達を魅了してやまないフランスのラグジュアリーブランド「セリーヌ(CELINE)」。
セリーヌは、様々なアイテムを展開するトータルファッションブランドとして展開されていますが、セリーヌと聞くと、ラゲージなどのエレガントなバッグを思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、創業時はバッグではなく、なんと子ども向けの高級革靴店からスタートしており、当初はバッグの制作は一切行っていなかったと言われ、セリーヌが世界のセレブリティから支持を得る高級ブランドになるまでの経緯には、数多くの歴史がありました。
そこで今回は、意外に知られていないセリーヌの歴史についてご紹介します。
目次
セリーヌの歴史 第一章
セリーヌの創業
セリーヌの歴史は、1945年、第二次世界大戦が終戦して間もない頃、セリーヌ・ヴィピアナと言う女性が、夫のリチャードと共に「セリーヌ(CELINE)」と言うブランドを立ち上げ、子供靴店をフランスのパリ11区マルトゥ通り52番地に創業した所からスタートします。
セリーヌ氏は実業家でありながらデザイナーとしての顔も持つ才能豊かな女性で、ブランドを立ち上げたきっかけは、自分の子供に靴を作る為だったと言われており、創業当時は30歳目前と言う若さでした。
当時は、上流階級に向けた子ども用の高級革靴をオートクチュールで制作し、セリーヌ氏がデザイン画を描き、パリの一流の革職人によって作られた子ども靴は、デザインの良さに加え、最高級の皮革を使用して品質にもこだわり、尚且つ安全性にも優れていたことから、瞬く間に評判を呼び、続々とオーダーが入るようになります。
さらに、子どもは足の成長スピードがとても早いことから、成長に合わせて新たな靴を購入する顧客も多くおり、子供を持つ上流階級の間で大流行を巻き起こすようになります。
ビジネスの成功によって創業から3年後の1948年には、新たに3つの新店舗をパリ市内にオープンします。
著名な顧客の子どもに向けた靴も次々に手掛けるようになり、パリの子供靴ブランドの中では、一目置かれる存在となります。
セリーヌの歴史 第二章
婦人靴の販売を開始
ブランドの規模が拡大するにつれて、来店した母親から子供靴だけでなく、婦人靴も作ってほしいとのリクエストが多く寄せられるようになり、セリーヌ氏は婦人用靴の展開を検討するようになります。
そして1959年、セリーヌ氏は、満を持して婦人靴の販売をスタートします。
当時、特に人気が高かったのが「インカ」と呼ばれる婦人用のモカシンで、カジュアルな印象のモカシンに重厚な雰囲気の馬具を取り付けた斬新なデザインは、目が肥えている上流階級の女性にも高く評価されます。
子供靴に続き、婦人靴の展開も大成功を収め、セリーヌはさらなるビジネスの拡大に向けて、これまでの靴に加え、新たな部門を続々と立ち上げることになります。
1964年、セリーヌの新たな事業として、最初に展開をスタートしたのが香水です。
「Vent Fou」と言う名のフレグランスは、ガルバナム・ジャスミン・ローズのフローラルブーケの香りで、現在は販売されていませんが、セリーヌのフレグランスの展開は現在も継続しており、女性のみならず、男性にも高い人気があります。
セリーヌの歴史 第三章
バッグ・小物類の展開をスタート
1966年になると、アイテムのラインナップをさらに拡大し、バッグやレザーアクセサリー、スカーフと言ったアイテムの展開をスタートします。
レザーアイテムは、フィレンツェの工場で匠の技を持つ職人によって制作され、セリーヌ氏は、常に高品質の製品をお客さんの元へ届けられるようにと気に留めていたと言います。
1960年代になると B.C.B.Gと言うワードがパリで飛び交うようになります。
B.C.B.Gとは、ボンシック、ボンジャンルの略称で、「フランス・パリの上流階級の良い暮らし」と言う意味合いを持ち、シックでモダンなフレンチカジュアルスタイルに身を包んだ人々のことを指します。
当時、セリーヌは上流階級御用達ブランドであったことから、セリーヌがB.C.B.Gの代名詞と言われるようになり、B.C.B.Gが浸透するにつれて、やがて上流階級以外の人々にもセリーヌが知れ渡るようになると、一般市民のパリジェンヌもセリーヌのアイテムを次々に持つようになったと言います。
このときから、セリーヌがパリに住む女性の憧れのブランドとして定着するようになり、パリを代表するラグジュアリーブランドへと躍進していきます。
セリーヌの歴史 第四章
サルキーバッグの大ヒット
1967年には、初となるプレタポルテを発表し、本格的にファッション業界に進出したことによって、フランスのみならず、ヨーロッパ全土、そして世界的にセリーヌの名が浸透していきます。
1960年代後半には、婦人用バッグ「サルキー」が大ヒットを記録します。
サルキーバッグは、PVC素材の耐久性に優れたトートバッグで、サルキー(英語で輪馬車)と言う意味のように、2つの馬車が連なっているモノグラム調のデザインがプリントされており、1980年頃まで、セリーヌの定番バッグとして親しまれてきました。
止まらぬ勢いで進化を遂げていくセリーヌは、1968年に初となるスポーツウェアコレクションを発表します。
セリーヌのスポーツウェアは、現在も海外のセレブレティから熱烈な支持を得ており、スポーツ以外のデイリーシーンでもこぞって取り入れてる姿を見ることができます。
セリーヌの歴史 第五章
世界進出を果たす
1970年代に入ると、セリーヌは念願だった世界進出を果たします。
アメリカや香港など世界の主要都市に続々と直営店をオープンさせ、世界中に顧客を持つようになり、1980年代には、全世界で述べ80店舗以上の店舗を構えるまでに成長しました。
しかし、時代の変化と共にB.C.B.Gの流行に終止符が打たれると、セリーヌを愛用していた層も年を取ってきたこともあり、次第にセリーヌは高齢層向けのイメージが付いてしまい、やがてブランドは低迷期を迎えることになってしまいます。
そして、このタイミングで創設者でセリーヌの社長であったセリーヌ氏が辞任を発表します。
そんな中で業績低迷のセリーヌに救いの手を差し伸べる企業が現れます。
その企業とはフィナンシエール・アガッシュ社で、セリーヌはフィナンシエール・アガッシュ社に買収されると本格的に組織改革を行い、新たな社長としてナン・ルジェと言う女性を迎え入れます。
セリーヌの歴史 第六章
マイケル・コース氏の就任
1996年、フィナンシエール・アガッシュ社がルイ・ヴィトングループであるLVMHに吸収されたことによって、セリーヌはLVMHグループ傘下のブランドとなります。
1997年、新社長の戦略によって、徐々に売り上げが回復するようになると、ブランド改革を図る為に、新たなチーフデザイナーを招き入れます。
そのデザイナーとは、あの有名なマイケル・コース氏で、マイケル氏はターゲットの年齢層をキャリア女性に移行し、これまでのセリーヌらしい高級感を取り込みつつも、マイケル氏特有のスポーティーなスタイルを取り入れたところ、売上が大幅にアップし、マイケル氏はブランドの再構築に成功し、セリーヌが完全復活を果たします。
1999年、マイケル・コースがクリエイティブ・ディレクターに昇進し、ここからセリーヌのさらなる快進撃がスタートします。
マイケル氏は2004年に退任するまでの間、数多くのアイテムを送り出してきましたが、中でも大ヒットを飛ばしたのが、「ブギーバッグ」と「パリ・マダカム」です。
2002年に発表したブギーバッグは、機能性と実用性を兼ね備えたボックス型のトートバッグで、今もなおセリーヌを代表するバッグとして人気を集めています。
そして2003年に発表した「パリ・マカダム」シリーズは、デニム素材を使用したラグジュアリーとスポーティーの要素を融合させた、マイケル氏らしいコレクションで、最初にアメリカのニューヨーカーの間でトレンドになると、その後世界的に人気を博しました。
セリーヌの歴史 第七章
表参道に旗艦店をオープン
2003年、日本でのセリーヌの旗艦店となるブティックが、東京・原宿の「ONE表参道」にオープンします。
パリにある本店と同じコンセプトで展開され、バッグや靴、小物からプレタポルテまで豊富な品ぞろえで、ファン必見の日本最大級の店舗になっています。
2004年、セリーヌを復活に導き、再び女性が憧れるラグジュアリーブランドへと返り咲かせ、ブランドに様々な貢献をもたらしてきたマイケル氏でしたが、自身のブランドに集中する為、セリーヌから立ち去ることになります。
2005年、セリーヌはバーバリーでデザイン経験があるロベルト・メニケッティ氏を、アーティスティックディレクターとして招き入れますが、めばしいヒット商品が生まれず、ロベルト氏は2シーズンの任期を終えた後に退任します。
2005年4月、高級ファッションブランドの激戦区である、東京・銀座並木通りにセリーヌの直営路面店がオープンします。
2006年には、イヴァナ・オマジック氏がアーティスティック・ディレクターに就任しますが、ロベルト氏と同様に、短期間で任期が終了してしまうことになります。
そんな中で、2008年に新たにクリエイティブディレクターとして就任したのがフィービー・ファイロです。
パリ出身でロンドンで育ったフィービー氏は、イギリスの芸術大学の名門であるセントラル・セント・マーチンズを卒業後、クロエのデザイナーとして経験を積んできました。
フィービー氏は、創設者であるセリーヌ氏の美学を引き継ぎ、シックでミニマムなラグジュアリースタイルを取り入れたアイテムで、多くのセレブリティを魅了し、低迷していた業績が再び回復するようになります。
セリーヌの歴史 第八章
ラゲージバッグの誕生
フィービー氏が手掛けた代表的なアイテムの1つで、現在もなおセリーヌのアイコンバッグとしておなじみなのが、2009年に発売された「ラゲージバッグ」です。
スクウェアフォルムのインパクトのあるデザインは、第二のエルメスのバーキンバッグとの呼び声もあるほど高く評価され、有名人やファッション誌の編集者が次々に愛用したことで一躍有名になり、世界中で大ヒットになります。
さらに、もう一つ、革新的なバッグとして話題を集めたのが「カバ」です。
ショッピングバッグのようなフォルムが特徴的のシンプルなデザインのトートバッグで、ノートパソコンやA4ファイルが収納可能なことから通勤にも使用でき、キャリアウーマンから絶大な支持を得ています。
2011年、飛ぶ鳥を落とす勢いのフィービー氏は、新作バッグ「クラシックボックス」と「トラペーズ」を発表します。
クラシックボックスは、名前の通りクラシカルなデザインのスクウェアフォルムのショルダーバッグで、ストラップを外すことでクラッチバッグとしても使える優れモノです。
トラペーズは、大きく広がったマチが印象的なシンプルなデザインのハンドバッグで、カラーバリエーションも豊富に展開され、販売当時はラゲージに匹敵する人気がありましたが、残念ながら現在は廃盤となっています。
このように、手掛けたバッグは次々に大流行を巻き起こし、セリーヌに新たな風を吹き込んだフィービー氏は、その活躍が認められるとタイム誌の”世界で最も影響力のある100人”に選出され、さらに英国女王から大英帝国勲章である「オフィサー」を受賞するなど、多くの功績を残しました。
セリーヌの歴史 第九章
表参道に旗艦店をオープン
10年に渡ってセリーヌをけん引きしてきたフィービー氏は、2018年に多くのファンから惜しまれつつも退任をし、後任には、エディ・スリマンが就任することになります。
エディ氏は、サンローランのクリエイティブ・ディレクターとして4年間就任し、サンローランを過去最高の売上に導いたと言う輝かしい実績を持ちます。
エディ氏の就任直後から、様々なブランド改革が行われるようになり、まず行ったのがブランドロゴの刷新です。
これまで「CÉLINE」と言うフランス語のアクセント符号の”É”から一般のEに変更し、「CELINE」に改名をしました。
さらにエディ氏は、セリーヌがこれまでに一切展開して来なかったメンズコレクションを新たに新設しました。
エディ氏が得意とするロックテイストを取り入れた、これまでのセリーヌのイメージを覆す衝撃的なメンズコレクションは、ファッション業界からは賛否両論となりましたが、そんな中でエディ氏は”トリオンフ”と言うシリーズを発表します。
トリオンフは1971年に発表された、セリーヌのシンボルとして親しまれていたモノグラムのモチーフで、パリの有名な名所である凱旋門を囲むチェーンからインスピレーションを得ています。
エディ氏はこの歴史あるモチーフをスタイリッシュに再構築を行い、クラシカルながらもモダンな雰囲気も兼ね備えた、新生トリオンフが完成しました。
トリオンフは現在、セリーヌのアイコンとなり、バッグや財布など多くのアイテムが展開されています。
エディ氏はインタビューで、前任者と同じようなことはしたくないと話していますが、エディ氏は自分のスタイルを貫きながらも、古くから続くセリーヌの伝統を引き継ぐことも決して忘れず、今後もエディ氏がプロデュースをする新生セリーヌに注目が集まります。
まとめ
今回は、セリーヌの歴史についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
子供靴専門店だった時代から70年余りの間に、いくつもの低迷期を乗り越えながらも、女性の憧れブランドとして不動の地位を獲得していったセリーヌは、新たにメンズラインも加わったことで、今後ますます多くの人から愛されるブランドとなっていくことでしょう。